1-02.新しい古びた天使指導Renew!
『なぜ私を裏切った……!! 欲に溺れたその報いを私が自ら貴様に下してやろう。まずは――を。その次が貴様の番だ……!!』
耐えきれないほど強い怨嗟の声が頭に響く。その圧倒的質量にナイロフイースは自身が粉々に砕かれるような苦しみと、砕けた破片に対してすら少しも緩まずに強くなっていく圧力による苦痛で目を覚ました。清潔な衣類に身を包んだ状態で、ラランプリシアの羽根がたくさん敷き詰められているベッドから身を起こす。
「ラランのやつ、どこに行ったんだ……?」
先ほどの激しい行為の記憶が蘇り、呻いて頭を抱えたくなるが、それよりももっと大事なことがある。邪神の復活だ。天使界は有史以来幾度も滅亡の危機に晒されている。遙か昔、この世界が創世されるよりも前から存在する恐ろしく残忍な神の怒りを鎮めるために神殿を建てて祀ったというが、それでも邪悪で強大な太古の神を完全に封じることはできなかった。
時を経るごとに増していく闇の力を封印するために数多の天使を神殿に捧げて、その殺戮と破壊の魔力が拡大するのを食い止めてきたが、とうとう天使の数が足りなくなり、この世界の維持と凶悪な闇の神殿の管理ができなくなるという危機的状況で、急にぴたりと邪神がその動きを止めたのだ。奇しくもそれはナイロフイースが生まれた日と重なり、数時間遅れてラランプリシアがこの世に生を受けたので、最初はこの対となる天使は天使界の救世主だと期待されていたらしい。
確かにラランプリシアは稀代の天才で、単独で闇の神殿の管理ができるほど能力が高い。しかしナイロフイースは天使としては落ちこぼれで、ろくに仕事をこなせないので、とうとう闇の神殿の周囲を箒で掃除するふりをするというほとんど意味のない仕事しか適性がないと判明した。天使界のお偉いさん方はさぞかしがっかりしただろうが、何が邪神の気に触るのか不明のため、待遇が悪化することはなかった。
邪神が活動を停止した日に生まれたナイロフイースとラランプリシア。ラランプリシアは違うが、ナイロフイースは珍しい黒髪の天使だ。普通の天使よりも闇の力に耐性があるらしいが、闇の神殿に入ったらぶっ倒れたので、神殿の内勤務は厳しいと判断され、外回りをうろうろするだけになった。何の意味があるのか上司もわかっていないに違いない。
闇の力によって相当圧迫されている天使界だが、人間界以上に豊かで美しい自然が溢れる世界だ。そこかしこで花が咲き乱れ、青々と茂った木が木陰を作って煌々と輝く太陽の光を和らげてくれる。基本的に天使の建造物は石造りで、ナイロフイースのように自然の洞窟を住処とする天使も少なくないが、大半は自分で石を加工して住みやすい家を作っている。
天使力皆無なナイロフイースが石で家を建てるのは誰かに手伝ってもらわない限り無理だろう。
「ララン……?」
テーブルにパンとスープが用意してあったので、ご飯を作る余力はあったらしい。もしかしたら闇の神殿関連で緊急招集があったのかもしれない。ずきりとこめかみに鈍い痛みが走る。ラランプリシアと触れ合った時確かに邪神の存在を感じた。
あれは相当やばいんじゃないか……? ナイロフイースは焦る気持ちを落ち着けるようにパンをスープに浸して食べて、ハンガーにかけてあった制服に着替えてからのんびりラランプリシアの家を出た。
全然焦っているように見えない? 気のせいだ。誰にともなく呟いてからナイロフイースは外に出て、愕然とした。美しい自然は見る影もなく、荒廃した景色が広がっている。
「嘘だろ……!?」
たった一晩で砂漠になってしまったような悲惨な光景に絶句する。太陽が殺人的な光を降り注ぎ、ナイロフイースは周囲の様子を確認するために慌てて走り出した。
「ラランの畑は……!?」
たまにナイロフイースも手伝っていた畑はからからに乾いていたものの、作物はひとまず無事だった。このままだと水をやらないと枯れてしまうだろうが、水源は全滅だ。水の一滴も見当たらない。
「なんでこんなことに……!」
ナイロフイースは今ある作物を無駄にしないために実った果実や野菜を収穫して、日持ちのしないベリー類をもぐもぐ食べながら油断なく辺りを見回した。食い意地が張っている? 考えすぎだ。
どこか危機感が欠如した行動を取ってしまうが、ナイロフイースはとてもこれが現実だとは思えなかった。天使たちの築いた文明のほとんどがガラクタのように壊されていて、ほとんどの植物が枯れている。今この世界では命というものを感じられない。アマンザンの鼓動も消えて、全てが絶命した世界だ。
なぜ自分が無事なのかもわからない。ラランプリシアはどこにいるのだろう。
予感があって訪れた闇の神殿は、相変わらず厳かで静謐で闇の気配が満ちていた。他の建物は全て崩壊しているのに、ここだけが何の欠けもなく存在している。まるでナイロフイースが訪ねてくるのがわかっていたかのように神殿の重い扉が開いて、中に誘い込まれる。ラランプリシアが中にいるはずだと、ナイロフイースは震える手をぎゅっと握って一歩を踏み出した。
「ララン……いるのか……? お前は生きてるよな……?」
「やあ、待っていたよ。ナイロフイース」
明るい声でこちらを出迎えたのは見たことのない男だった。白地に金の刺繍と宝石が編み込まれた派手な神官のような格好をしているが、佇まいが明らかに天使のそれではない。プラチナブロンドの髪に血のような紅い瞳、透明感のある白い肌には血潮を感じられない。触れただけでこちらが壊れてしまいそうな圧のある芸術品のように美しい男だ。
「お前、誰だよ……ラランはどこにいる?」
「私の花嫁、かわいい君に教えてしんぜよう。ラランプリシアはもういない。彼は最初から生きていなかった」
「どういう意味だよ……! ラランに何をした!?」
頭にかっと血が上り、食ってかかってしまったが、相手は得体の知れない存在だ。すぐに激情は去り、どうやってこの場を切り抜けるかに思考を巡らせる。
「何も。ラランプリシアのことを知りたいなら私の手を取るのだ」
有無を言わせない絶対遵守の強制力がある声音で命令される。この場から逃げようと思っているのに、ナイロフイースの足は一歩一歩目の前の男に向かって動き出した。
「な、なんなんだよ……」
絞り出した声は情けないくらい震えている。抗えないまま男の伸ばした手に触れると、ぐっと拘束具のように手を握られた。
「天使の制服というのが少しもったいないが、花嫁のベールを被ればそれも一興。ナイロフイース、私の花嫁。闇の神殿などと天使は呼ぶが、ここは黒の神殿。この世界を壊す核となる場所だから、私はこの中に大人しく留まっていたのだ」
赤と紫、青い宝石と水晶が金と銀の刺繍の上に散りばめられた黒いベールを被らされた。エキゾチックな雰囲気で、とても花嫁のベールには見えない。
「何が目的だ……!」
まさか本気でナイロフイースを娶ろうという気ではないだろう。ナイロフイースは目の前の男が邪神だと気づかないわけにはいかなかった。こんな真似ができるのは太古の邪神以外にいない。
「やっと結婚式を挙げられる。この神殿の外はまだまだ汚いものが残っているけれど、この中は及第点だろう? さあ、私たちはこの場で夫婦となるのだ」
恭しく顔を覆ったベールを上げられ、人型を取った邪神がナイロフイースにそっと口づけてくる。全く体温の感じられない唇に身体から力が抜けて、床に崩れ落ちそうになったのを支えられた。
「今、この瞬間から私と君は夫婦になった。君に私からの祝福を与えよう。君の伴侶……私と私の一時的な仮の姿以外の万物が君に触れたら、その命でもって償わなければならない。じわじわと命を削り、決して君に被害が出ないように暗殺してあげよう。大丈夫、私は完璧に殺してその罪を贖わせる術を君の想像が及ばないくらい熟知している」
何さらっと呪いかけてくれてんだ……! ナイロフイースは呆然としたが、邪神は嬉しそうに笑った。
「喜んでもらえて嬉しいよ。私以外に触れられたら苦しいだろう? 君を苦しめる全てを私は許さない。永遠に」
話が通じない。そして何だか恐ろしいことを言っている。
「あの……本気か?」
引きすぎてついぽろっと同僚に話しかけるような感じで聞いてしまった。
「ああ。私は君のことをずっと待っていたんだ。君が私に許可をくれるのを。君が私を自ら求めてくれるのを」
邪神は壊れ物に触れるように優しい手つきでナイロフイースの頬に温度のない手を這わせ、まるで恋い焦がれるような切ない眼差しを向けてくる。
「お、俺は邪神を求めてなんか……」
「私は邪神などではない。むしろ私にとってはこの世界と君以外の天使全てが邪悪で醜悪な卑しい愚図どもだ。神に逆らいし愚かなる天使……やっと制裁を加える順番が回ってきた。偽りの安寧を剥ぎ取り、終わらせてもらわない限り永遠に苦しみ続ける牢獄に叩き込んでやったのだ」
完全に発言が邪神だ。あれか、邪神ではなく実は大魔王なのか。
「なんで俺だけ除外するんだ……?」
気まぐれか、こちらを安心させてから地獄の底に叩き落とす作戦か。
「君が私の花嫁だからだ。君は本来天使などではない。あの愚鈍で間抜けな女天使が私の宝石を勝手に掘り起こして……!!」
急に邪神の男の声がぐっと低くなって怨嗟の噴き出すようなおどろおどろしい怒りの咆哮を上げたので、ナイロフイースは震え上がってしまった。恐ろしくて声すら出ない。がちがち歯が鳴って、こちらの様子に邪神が気づくきっかけを与えてしまう。
「なぜそのように浮かない顔をする。私たちは新婚だ。これからたくさん抱き合うのだから、もっと笑え」
邪神怖い無理。思考すら萎縮して何も言えずにいると、邪神の機嫌が一気に降下した。
「まだ完全に滅ぼせてないからか? なぜ私を拒む」
邪神の機嫌が反映されるのか、天使界全体が揺れて崩壊が進んでいるような気配がする。このままではまずい。
「お、俺は滅ぼせなんて……拒むも何もこんな初対面で……こ、怖いし……」
絞り出すように言葉を発すると、邪神は暫し沈黙した。
「少し堅苦しい態度だったか。別にそんな緊張しなくていいし、私たちは初対面ではない。私は君が生まれた時からそばにいる。ラランプリシアは私の仮の姿だ。天使を滅ぼすために天使に擬態していたにすぎない。私たちは何度も抱き合っただろう」
「そ、そんな……じゃあ最初からラランは……」
たった独りで闇の神殿の管理ができていたのは、そこに祀られている邪神だったからなのか。信じがたいけれど、不思議とそれが真実だとナイロフイースは悟った。
「そうだよ、イース。この姿の方が馴染み深い?」
ラランプリシアの声と姿で、そっと頬を撫でられる。ちゅっと軽い音を立ててキスするのも、ナイロフイースの知っている彼だ。
「うっ、うう、ララン……!」
見知った姿にナイロフイースの緊張の糸が切れて、目の前にいるのは邪神で、実はラランプリシアの正体だったと頭でわかっていても、涙が止まらなかった。
「どうして泣くの? 俺がいなくなったと思って寂しかった?」
悪戯っぽい目でこちらをからかってくるいつものラランプリシアだ。
「なんでだよ……なんでお前邪神になってんだよ……天使界がぼろぼろだ。俺、これからどうすればいいんだよ……」
まだ完全にラランプリシアと邪神が結びつかないが、ナイロフイースは彼に縋ることしかできなかった。ラランプリシアだけなのだ。ナイロフイースを苦しいものから遠ざけてくれたのは。
ずっと苦しかったし、辛かった。天使たちはそれを闇の神殿から溢れそうになっている闇のせいだと、この苦しみから解放されるためには仕事をがんばって闇に打ち勝たなくてはいけないとナイロフイースを叱咤激励する。言われた通りにしようとすればするほど苦しくなって、どうしようもなくなった時、ラランプリシアの推薦で闇の神殿の周りに配置されて少しだけ楽になった。
イースは天使向いてないでしょ――さらっと失礼なラランプリシアの言葉のおかげで、無理に適応しようという気概が削がれて、天使の仕事から逃げるようになった。すっと気持ちが楽になった。
役立たずな自分が存在する意義がわからなかった。とにかく苦しみから逃げて、僅かでもましになれる場所を探してさまよっていたら、周囲の天使に非難の眼差しを向けられるようになって、森の奥の洞窟に逃げ込んだ。
闇の神殿の周りには誰も他の天使がいないから安心して、仕事をやっている振りだけでもしておこうと周囲をうろつくのと、自分の洞窟に籠る以外どこにも行かずにいたら、いつのまにかラランプリシアと身体の関係を持つことになっていたが、それだって戸惑っただけで嫌ではなかった。こんなどうしようもない不良天使でも優秀なラランプリシアの役に立てるのは満更でもなかった。
どうしてこういうことをするのか知らないと不安で大分悩んでいたけれど、関係を持ってからラランプリシアがすごく優しくなったから、変なことを聞いてその良好な仲が壊れるのが怖くて黙っていた。
「イースは俺に守られて俺の腕の中でかわいい姿を見せてくれればいいんだよ。それだけでやる気が出て俺の仕事は捗るから」
ラランプリシアはあやすようにナイロフイースを抱きしめ、背中を撫でてきた。ついでにするりとお尻も触られる。
「ラランの仕事って何だよ……なんで天使界を滅ぼそうとしてるんだ? っていうか他の天使はどこ行ったんだ?」
段々落ち着いてきたせいか、他のことにも気が回るようになる。天使界には誰の姿もなかった。
「言っただろう? みんな殺してから牢獄に叩き込んでおいたよ」
「殺したって……そんな……同僚とか同級生も全員……?」
ラランプリシアがあまりにもなんてことないように言うので、ナイロフイースはひゅっと息を呑んだ。
「うん。天使は皆殺しだ。でもイースには親しい仲間も恩師もいないから別に問題ないよね。ああ、この世界の基準で善悪を考えないで。そうされてもおかしくないことをあいつらはして、そのツケを払っただけだから」
「ツケって何をしたんだよ……この世界の基準で考えるなって言われても……」
ナイロフイースは生まれてこの方ずっと天使として生きてきたのだ。今だってこうやって辛うじて落ち着いていられるのはラランプリシアがいるからで、この状況とまともに向き合うと吐きそうになる。
「大丈夫、そのうちイースも天使の断末魔の悲鳴が待ち遠しくなるよ」
「そんなんなったら俺、終わりだろ……」
模範天使扱いされていたラランプリシアの倫理観はどこに行った。
「イースは俺の番なんだよ。やっと結婚式を挙げられて感無量だ。言っておくけど、俺は天使界の奔放な性を心底気持ち悪いって思ってるからね。自分じゃ循環できないくせに、いろんなエネルギーを混ぜ合わせてどんだけ分解するのに手間かけさせる気だよって嫌悪しかない。当然俺はイース以外としたことないし、一切する気もないからね! ほら、イースって俺のこと百戦錬磨くらいに思ってたから、なかなか結婚に踏み切ってくれなかったんだよね?」
今まで身体での対話しかしてこなかったが、普通に話しても双方の基準が違うからかどうにも噛み合わない。ラランプリシアの言っていることの意味がナイロフイースにはいまひとつわからなかった。
「いや、結婚に踏み切るも何も俺はお前とつき合う気もなかったぞ。俺たちの間に結婚の話題なんて出たこともないだろ。いきなりこんなことになって心底びっくりしてるわ」
「……イース、俺たちの新居に行こう」
普通に無視された。
「新居ってそんなのあるのか……。俺はお前の番なのか? なんで俺を番にしようと思ったんだ?」
「イースは生まれた時からたった一粒の宝石で、俺だけの番なんだよ。君だけが俺の憧れで、大事な存在で、神聖で、俺以外立ち入ることの許されない尊い聖域だ。世界一かわいい君は、俺の存在する意味そのもの。君は俺のために生まれたから、俺は君だけのために存在する」
すごい口説き文句だが、相当ぶっ飛んだことを言っている。
「そ、そうか……ごめんな、俺そういうのよくわからないけど、ラランのことは好きだぜ。お前がとんでもない破壊神だからどういう反応するべきか困ってるけど、こんな俺にそんなふうに言ってくれてありがとう。こんな状況で言うのは不謹慎かもしれないけど、お前がそう言ってくれると俺は俺のことを少しだけ好きになれるよ」
焦土と化している天使界でこうして普通に立っていられる時点で感覚が麻痺しているのかもしれないが、ラランプリシアの言葉は素直に嬉しかった。
「あの狂った害悪どもがぁぁぁぁぁ!!」
「ひいいいいい!!」
いきなり激昂されて、ナイロフイースは腰を抜かしてしまった。怒り狂うラランプリシアは邪神の姿に戻っている。紅い瞳を眇め邪悪なエネルギーを撒き散らす邪神ラランにびびってしまう。
「なんで怒ってんだ……? 俺、なんか勘に触ること言ったか……?」
ラランプリシアだとわかっているから邪神の姿でもさほど恐怖は感じない。その猛烈な怒りは怖いけれど。
「私のイースがこの狂った醜い欲望の世界の基準に毒されて、自身の価値を貶めるような認識をするなどあってはならない事態だ。惨殺だ!!」
ラランってこんな激しい気性だったんだなと、ナイロフイースはどこか現実逃避気味に思った。
「とりあえず落ち着いてくれ。俺、ラランのそういう激しいところちょっと怖いというか……」
待っていてもいつまでも怒りが鎮火しなさそうだったので、恐る恐る声をかける。
「……これは君に対する怒りではない。君以外の全てに落とし前をつけさせるだけだ」
「俺以外の全てって……お前、妹いるじゃん。妹のことも手にかけたのか?」
「妹? ははっ、ルイシクセスリーは妹ではないよ。私は擬態していただけだからね。しかし彼女と縁があることは事実だ。あえて言うならば腹違いの悪魔の落とし子ってところかな……」
随分な言いようだ。
どういう基準で制定されるのか不明な部分もあるが、同じ花から生まれた天使はほとんど兄弟姉妹扱いされるから、天使には夫婦以外にも家族という概念はある。ナイロフイースが生まれた――正確には引っこ抜かれただが――花は次の天使を生むことなく枯れたらしい。たった一人の天使しか生まない花を天使界では不吉の前兆と見ている。しかし生まれた赤子に罪はないという考え方をするので、ラランプリシアが口にした悪魔の落とし子という言葉は気になった。
「セスリーは普通にいい子だろ……」
顔立ちは少し違うけれど、髪の色や瞳の色はラランプリシアと同じで、かわいらしい雰囲気の女天使だ。
「ははっ、生まれるだけで罪悪な存在っていうのはいるものだよ。私は私のイースを搾取しようとする存在を許さない。あいつはアマンザンが寄こした刺客だ」
「刺客って……俺、天使界の母なるアマンザンに命を狙われてたのか!?」
邪神として祀られていた男に言われると説得力がある。
「ああ。私とアマンザンは敵対関係にあった。遥か昔の話だが、確かに私はあれを討ち取った。今の天使界を支えるアマンザンは、昔とは違って邪神信仰に傾倒した天使の始祖が悪魔の儀式を経てこの現世に蘇らせた生きる屍だ。アマンザンを自分達に都合の良いように魔導で縛り、そんなことなどまるでなかったかのようにこの天使界全てを支配したような気になっている天使たちが私は心底憎い」
ラランプリシアにとってアマンザンは特別な存在だったのかもしれない。
「そんなわけないだろう。私にとってアマンザンは単なる邪魔者だった。あれが消えない限り私の番……イースは目を覚まさない。最も厄介で憎い存在から葬るのは基本だ」
ナイロフイースの思考を読んだようにラランプリシアは即座に訂正してきた。
「俺、何も言ってないのに……」
「私は全てを知っている。だから天使たちも私に邪神という汚名を着せて、この神殿に封印して閉じ込めようとしたのだ。どんなに私を恐れ、遠ざけようとも、私に縋る以外この状況を打開する術はないのだからな」
「……そんなことって……」
今までの常識全てが覆ってしまう。天使の仕事はこの世の闇を晴らすこと。あまり大々的には言われてないが、人間界に手を貸す天使が多いのも、特殊な人間界という舞台で、人に闇との代理戦争をさせて光が勝つように手助けしているのだと皆知っていた。天使界はもう闇の神殿を抑えるだけで精一杯だから、光の力も弱い代わりに闇も抑制されている人間界で勝利を収めることが、天使界の未来に繋がるのだと皆信じていた。
闇との戦いで傷ついて光の力を失い、これ以上天使でいられなくなった者の中には自ら人間界行きを選択して、こちらの世界の記憶は保持できないけれど、人間になって少しでも光に貢献できればと献身的に生きる者たちもいる。それがどれほどの苦痛を伴うのかも皆知っていた。積極的にそういう元同胞に力を貸す天使が多いのも、次は自分の番かもしれないからだ。天使たちは天使でい続けるのが難しくなっていた。
闇にじわじわと削り取られていく天使たちにとって人間界に堕とされることは何よりの恐怖で、なぜそこまで恐れるかというと、一度人間になればよほどの幸運が重なり、邪神以外の神様にでも引き立てられない限り、もう二度と天使にはなれないからだ。
神様というのはこの場合、天使界以外の世界でアマンザンの加護を受ける存在だ。次元を超えてこちらに手を貸すのはとても難しい。こちらから向こうに対しても同様。天使と同じくアマンザンを母とする別世界の神様と共通の目的を持っていても、別段交流があるわけではない。エネルギーの流れが大きく変わるなど超自然的な現象とタイミングが重なりでもしない限り、お互いの世界に直接的な干渉はできないのだ。
そしてどこの世界でも観測できる限りでは似たり寄ったりの絶望的な状況だった。天使界の母たる女神アマンザンと、邪神ユアエタニージュは時空も次元も超えて、どの世界にも加護と破壊をもたらすことができる。ユアエタニージュは姿形や名前は違えど、どの時空間でも闇を撒き散らしていた。まさかその不可避の邪神がラランプリシアだったとは。