天龍双

囚われた仔犬

 何の障壁しょうへきもなければ、すぐにでもプロポーズして永遠を誓い合いたいくらい好きでたまらない相手に、想い人や恋人ができたら、立ち直れない。
 何で自分ではないのか。告白すらしていないし、できないくせに、世界が終わるような絶望に支配され、生きる気力をごっそり失いそうになった七瀬彼方を、唯一ふるい立たせたのは、恋敵こいがたきの欠点だった。
 あんな短所がある人間が、彼方の愛する人に触れてよいわけがない。あんな嫌な性格をしているのに、勇樹に好意を寄せられるのは間違っている。
 彼方も性格の悪さでは負けていないが、確実に頭脳面では優れている。今まではずっと彼方が勝っていた――性別的な問題を差し引いても。
 だが初めて彼方に引けを取らない強力なライバルが現れ、あっさりと勇樹をさらって行ってしまった。こんな残酷なことがあってよいのか。この世に神はいないのか。彼方は自身を全部捧げられるほど、勇樹が好きなのに。
 何故だ? 一体何が彼方と違う。勇樹が水無月薫と交際を始めたのは、彼らの様子でわかった。水無月の方には隠す気が多少はあったかもしれないが、勇樹の態度でばればれだ。本人は普通に振る舞っているつもりだろうが、他人は気づかなくても、彼方の目はごまかせない。
 全身で水無月が好きだと語る勇樹に、彼方は全てを放り出したい気分になった。いくら彼方が水無月を倒しても、勇樹の気持ちが向こうに傾いていたら、意味がないのだ。
 何もかもがどうでもよくなり、虚脱感きょだつかんに身を任せていた彼方をすくい上げたのは、やはり勇樹だった。
「彼方、ここ数日変だぞ。やる気がないというか、ぼんやりしてるというか……大丈夫なのか? お前に反比例して、委員長がものすごく張り切ってるし……」
 彼方の挙動きょどうが勇樹の心を少しでも動かしたことが、せめてもの救いだった。
「今、俺は仔犬欠乏症けつぼうしょうで死にそうなんだ……」
「冗談言う気力があるなら、委員長を何とかしないと、放送委員会が悪扱いされてる薫先輩に支配された勇者の俺と、悪をつため悪に転じた大魔法使いの彼方と、その協力者であるしいたげられた魔王の委員長の戦いみたいな、わけのわからないイメージが定着しちゃいそうだぞ。それとも体調が悪いのか?」
 勇樹は彼方の発言が本気だと、いつも気づかないで流してしまう。何故だ。今までも何度か好意をほのめかしたのに、まるで手応えがない。やはりもっと踏み込まないと駄目なのか。
「心が瀕死ひんしだが、お前が傍にいてくれれば回復する」
 彼方なりに精一杯口説いたつもりだが、勇樹は痛ましそうな顔をした。
「そうか、彼方でも委員長とコンビはきついのか……大変だったな」
 ねぎらうように肩を叩いてきた勇樹に、彼方は体温が一気に上昇した。
「な、何だよ、別にそんなんじゃねーから」
 つい身を引いてしまうのも、照れているからだが、勇樹には伝わらない。
「無理するなよ。いくら委員長選挙ではライバルでも、俺たちは親友で、同じ放送委員会じゃん。何かあったら相談に乗るぜ!」
「だったらお前も隠し事はなしだ。俺に言うことあるだろ?」
「え……俺は別に……」
 勇樹はあくまでもしらを切る気らしい。
「もしもの話だが、好きな子がいけ好かない野郎とつき合い始めたらどうする?」
 彼方としては、ほぼ告白するつもりの問いかけだったのだが、勇樹は見事に察しなかった。
「え? そうだな……ショックだと思うけど、多分好きな人がどういう人とつき合い始めたかを知ろうとするかな」
 彼方の不機嫌顔に、勇樹は慌ててつけ加えた。
「すごく簡単に言っちゃったけど、しばらくは落ち込んで立ち直れないと思うぞ? まあ、実際そういう体験したことないから、想像だけど……」
「お前、中学の時しょっちゅう失恋してたじゃねーか」
 彼方は思いのほかやさぐれた声が出た。
「え? ああ。俺、いろいろあって実は本当に好きってわけじゃないのに、無理に好きになろうとしてたというか……だから昔の俺の恋愛事情は、そういう感じだったと思ってくれ。こんなんだから、余計振られ続けたんだろうな」
 頭をがつんと殴られたような衝撃だった。
「はあ!? どういう意味だよ!」
 彼方は飲み込みが早い方だ。だから勇樹の言葉を理解できなかったわけでも、嫉妬損だと思ったのでもないのだが、ものすごく動揺して、怒ったような口調になってしまった。
「悪かったよ。俺が振られるたびに残念パーティー開いて、ふざけながらはげましてくれたのに、これじゃ怒るよな……」
 勇樹は彼方の心情を全く逆に捉えている。
「怒ってねーよ。むしろ万万歳ばんばんざいだ」
 どうしてもっと早く知ることができなかったのか、悔やんでいる。
「彼方って照れ屋だから、わざとそういう言い方するけど、本当いいやつだよな。今のだって、俺が本気で失恋して傷ついたんじゃなくてよかったって思ってくれたんだろ?」
 勇樹は鈍いくせに、彼方の心の一番柔らかい部分の愛情は見落とさないでくれるのだ。つくづく純粋な仔犬だ。
「ふ、ふん! めでたいことだから、俺に悪いとか思わなくていい。で、俺は地味に疑問に思ったんだが、仔犬はお、乙女心をいたずらに振り回したことに反省はないのか?」
 彼方は勇樹に対しても追求を緩める気はない、というのは嘘だ。公平な振りをしなければ、呆れられてしまいそうで怖いのだ。彼方の本音は、誰よりも勇樹を特別扱いしているから。
 彼方は平等な視点しか勇樹に教えられないが、それは意見を求められた時に参考になるようなことを言いたいのと、そうすることでしか味方してやれないからだ。
 彼方は勇樹を絶対的にあがめてはいない。本質的には盲目的な愛情を抱いているが、全部勇樹の思うがままにしていたら、彼方の望みが叶わない。
 彼方は勇樹と結ばれたいのだ。だから彼が彼方以外に目を向けたら、客観的に難癖なんくせをつけて相手をはじく。
 どうしようもないほど恋におぼれている彼方の悪あがきだ。
「うーん……正直彼女たちに、俺がそこまで影響を与えたとは思わないからなあ……」
 勇樹は自己評価が低いから、周囲と温度差がある。
「そんなことない。勇樹の存在はとても大きいよ」
 勇樹の一挙一動に最も心を揺さぶられたのは、間違いなく彼方だが。
「そうか……? 今振り返れば改善点はそりゃ山ほどあるけど、あの頃は前後不覚におちいってたようなものだからな……」
「だから勇樹は悪くないって? そんなの無責任じゃないか?」
 こんな心にもないことが口をいて出る彼方は、大層たいそう自虐的じぎゃくてきだ。激しく胸が痛い。
「んー……彼方みたいにストイックじゃないって思うかもしれないけど、そのままを見るというか……できなかったことを責めるより、今度できるようになるにはどうすればいいかを考えると、自然と進める気がする。それとまじめに俺は、下手すると小うるさい毛虫レベルの扱いを女子にされてたこともあるから、結局は自分というか……」
 勇樹ほどかわいい男の子もいなかったのに、女子には見る目がない――なんてどの口が言うのか。彼方がずっと勇樹の近くにいたからなのに。
 彼方の念の強さが、勇樹に近づく女子を退しりぞけた可能性もあるかもしれないが、徹底的に対策したのだ。
 まずは、勇樹のことを好きにならなそうな、早熟で性格の悪い女子に彼の視線が向くのをやめさせなかった。勿論もちろん校内でも倍率の高い美人だ。彼方よりも優れてはいないが。
 こんなふうに言うと自惚うぬぼれているようだが、彼方は様様な要素を勘案かんあんして判断している。
 勇樹は彼方が口にはせずとも、明らかに高評価していない女子へ関心を持たない。顔立ちは悪くなくとも、何らかの欠点をあぶり出し、彼方がそれとなく無関心な目を向けると、それに釣られるように勇樹もその女子を好きにならない。
 悪意に満ちた行動だが、彼方は勇樹に変な女を好いて欲しくなかった。
 何故早熟な女子のことは、そういうふうに仕向けなかったのか? いち早く男女を意識したような振る舞いをする女が、彼方は苦手だった。
 早いことが必ずしも優れているとは限らないが、そういう相手に彼方が劣等感を抱いているのも大きな原因だ。そして全てを禁じるほど、彼方は勇樹を束縛そくばくする意地がなかった。
 彼方は黙っていても、無視できない程度の存在感があるが、積極的な行動は取らずに大人しい方だった――自身の基準では。
 成績優秀で、生活態度も良い地味な秀才と言うには、いささか問題があるものの、教師の信頼をそこなうような真似はしていない。
 中学の時は今よりも目つきが悪かったし、最初は誰も寄せつけなかったが、勇樹が一生懸命近づいてきたので、すぐに彼にだけは心を開いたのだ。
 何もかも放り投げて勇樹だけを見つめていたかったが、現実を成立させないと彼が悲しむから、そこそこきちんとやってきた。
 彼方は思考も言動も、ものすごく厳しいが、それでも一定の節度を保っていたのは、臆病おくびょうだからだ。敵を作るのが、相手に恨まれるのが怖い――というわけではなく、そうすることによって、少しでも勇樹に嫌われるのが死ぬほど恐ろしかった。
 勇樹に拒絶される未来は、何が何でも回避するべきもので、そのためならば彼方は毒にも薬にもならない立場で、水面下にて力をたくわえていた。
 水無月薫は、彼方が狂おしいほど欲した理想を、いとも簡単に実現した男だ。憎んでも憎み切れないが、憎しみが彼方の希望を具現化してくれるわけでもないのだから、それにとらわれるような愚行ぐこうは犯さない。
 彼方の執念しゅうねんが、水無月をずたずたに切り裂く一手をあぶり出そうとしている時、勇樹がこちらをまっすぐ見つめた。
「彼方の厳しいところは長所だと思うけど、何だろうな。ちょっと苦しそうな気がする。多分認めないところから入るからかなー。俺、ずっとお前のことが心配だったんだと思う。うまく言えないけど、お前を感じる時いつも胸の奥が詰まるというか……自分を否定するのって辛い。俺、彼方のことすごいし、かっこいいって思うけど、それじゃ駄目かな……?」
 勇樹は勘違いしている。他の誰に言われたって、彼方の心には響かない。まるでそう生まれついたように、勇樹だけが彼方の心に当てまるのだから。
 勇樹に肯定されて嬉しくないはずがない。
「ふーん。俺がお前に優しくできなくても、そう思うか?」
 恥ずかし過ぎて、ひねくれた物言いになってしまうのが口惜しい。
「彼方は結構俺に甘いと思うけど……」
「ふーん……じゃあもし俺が…………何でもない」
 彼方は結局言い出せなかった。水無月と別れなければ、絶交だ――なんて、勇樹とたもとを分かつ覚悟もないのに(そんなことをしたら彼方が死んでしまう)言えるわけがない。確実に彼方を選んでくれる保証はないし、そもそも勇樹を困らせたくない。
「仮に彼方が俺に嫌なことをしても、お前のこと嫌いになれないと思う。どうしてそんなことしたのか知りたいというか……何か事情があるなら力になりたいし」
 勇樹は照れたように頬をいた。
「やっぱり俺って彼方のこと大好きだよな」
 にこっと笑う勇樹に、彼方は全身を撃ち抜かれた。
「くっ……そ、そんな手で俺を懐柔かいじゅうしようったって、そうは……」
「え? 怪獣かいじゅう? 別に俺、彼方を怪獣にする気なんて……そもそもどうやるんだ?」
「仔犬の愛が俺をどろどろにするんだ……」
 彼方は最早もはや自分が何を言っているのかさえわからなかった。
「普通逆じゃないか? 怪獣になった彼方に、俺の愛が伝わって人間に戻る的な……って、何だこの小っ恥ずかしい会話は!」
 顔を赤らめる勇樹が、あまりにも愛おしかったので、彼方は机に突っ伏した。これ以上この熱くなった顔を見せられない。
「なあ、多分俺が毒され過ぎてるんだろーけど、お前ら……」
 クラスメートのその他大勢の一人が何か言っていたが、彼方の耳は勇樹の言葉の余韻よいんひたっていたので、まともに機能しなかった。ついでに脳も。
 何故なら勇樹の愛が、彼方が己で無意識にしていた目隠しを外させたおかげで、急に視界が開けたのだ。
「なあ、勇樹。お前は俺のことずっと心配だったって言ったよな。俺が軽蔑けいべつしてた女子をお前が好きにならなかったことと、関係あるのか?」
 ここが教室で、最近やたらに多い自習中であることを、彼方は忘れていた。やけに真面目なクラスメートたちは、小声での雑談がせいぜいで、休み時間はそれなりにうるさいが、自習になるとこの学年で一番大人しいのではないだろうか。
「……まあ、そういう時は恋愛よりも、彼方のことの方が気になったし……お前が苦しんでると、俺も苦しいというか……」
 勇樹が彼方以外の誰かを好きになった時の方が苦痛にのたうち回っていたが、全くそういう様子を表に出さなかったので、気づかなかったのだろう。
 察せる範囲でだが、それほどに勇樹が彼方に影響されていたことからみちびき出せる一つの結論。これまでを振り返れば、勇樹にとって彼方がいかに大きい存在なのかがわかる。
 わかればこそ、彼方は物狂ものぐるおしい気持ちになった。こんな簡単なことだったのか。彼方が手を伸ばせば届く位置に、勇樹はいたのに。いてくれたのに。
 水無月にまどわされたのも、彼方の生き方があまりにも強く反映されたゆえに勇樹が気づけなかったことを、示した相手だからだろう。
 最初から勇樹は彼方を心に住まわしている。元元彼方が住んでいたのなら、後から押し入って来た水無月を追い出す権利は、あるはずだ。
「俺は今、とてつもなく苦しんでる。お前が水無月と関わりを絶てば、この心痛しんつうはなくなる」
「何でそんなに薫先輩を嫌うんだ? 俺とお前の友情は、薫先輩には関係なく――」
「ある。俺はやつと同じものを求めてるからだ」
 彼方は頭が真っ白になりそうなのを踏みとどまり、告白しようとしたが……。
「俺はもう妹に毒され過ぎてるのかもしれんが、これって男三人の三角関係じゃないよな? 痴情ちじょうのもつれ的な……」
 クラスメートその一の声で我に返った。
「はあっ!? 彼方君が真剣なのに、わけわかんないこと言ってんじゃないわよ、守部もりべ!」
 何故かクラスメートの女子その一が怒っている。
「そうよ、彼方君はそれだけ放送委員会のことで苦しんでるんだから!」
 女子その二も加勢している。
「水無月がどんだけ酷い男か……あたしたちはもう騙されないんだから!!」
 女子その三に、守部が狼狽うろたえつつも、反論した。
「いや、水無月先輩って派手だけど、普通に親切じゃないか……?」
「あんた校内新聞読んでないの!? ここに書いてあるじゃん!」
 女子その三が、守部に校内もとい志部新聞を渡している。
「えっ、何だこれ……七瀬彼方特集? しかもこの水無月薫語録って……」
 彼方が志部に書かせた、水無月の本音解説記事がここまで浸透しんとうしていたとは。
 外野がうるさくなってきたが、彼方は勇樹を見つめるのに忙しくて、あまり気にならなかった。
 どうしてそんなに調子が悪そうなのだろう。顔を青ざめさせて、勇樹は守部を凝視ぎょうししている。そんな奴を見るくらいなら、もっと彼方に目を向けて欲しい。
 何で大した特徴もない平凡な男が気になるのか。そうか、彼の発言が嫌だったのか。勇樹と彼方と水無月の三角関係を言い当てるなんて、この場にいるギャラリーの中で、誰よりも状況を把握している生意気な奴だ。
 彼方には自覚している弱点があった。とある条件下で、極端きょくたんに視野がせばまってしまうのだ。勇樹に元気がないと、彼をなぐさめたくて彼方はとんでもなく馬鹿な男になってしまう。
「勇樹、守部のやつは俺が始末しておくから、安心していいぞ」
 熱に浮かされたように、到底とうてい不可能な暗殺計画を立ててしまうのだから、彼方の脳みそはだっている。
「おい! お前目がまじで怖いから! 俺は妹を残して――」
 守部がごちゃごちゃ言っているが、彼方は勇樹しか目に入らなかった。
「始末って何言ってるんだよ。そんなことしたらおなわになるぞ?」
 勇樹はやはりどこかぎこちない。
「大丈夫だ。完全犯罪にするから」
「いやいや! もっと注意するところがあるだろ!? 倫理とか、俺がかわいそうとか! 誰か突っ込んでくれよ……勇樹までぼけ始めたら、収拾がつかないだろ……」
 絶望したような顔をする守部を、女子たちが冷たくあしらう。
「妹、妹ってうるさいあんたに、彼方君がちょっと怒っただけでしょ?」
「彼方君のおもしろい冗談を、本気で受け取るとか……ないわー」
「シスコンまじきもい」
 好きな相手のすることなら何でも肯定的にとらえる気持ちはよくわかるが、彼方は女子の立場に共感している場合ではなかった。
 守部は後で締めておくとして、勇樹は水無月――要するに男と恋愛関係にあると周りにばれるのが嫌なようだ。予想はしていたが、彼方は嬉しかった。
 水無月はうまくやっているとはいえ、凡人の領域に留まっている。
 彼方は勇樹に何の不安も抱かせない男になるため、着着ちゃくちゃくと準備を進めているのだ。まだまだ道半みちなかばだが、必ずや成しげてみせる。
 彼方は勇樹に優しい世界を作って、共に幸せになるのだから。
 恋愛は時に人をとんでもない方向に向かわせるが、彼方もそれに翻弄ほんろうされる一人だった。
 恋は曲者くせもの、恋は盲目、恋は思案のほか――これらのことわざを、身をもって体験している彼方だったが、すぐにそれが頭から抜け落ちてしまう。
 恋愛は二人でするもので、薄目でうかがっているだけでは、相手を理解するのは難しいと身に染みたばかりだったのに、再び同じあやまちを繰り返そうとしている。
 彼方は学習能力が高い方だが、勇樹に関することはてんで駄目だ。
 勇樹に一度でも自分の考えを話していれば、あんな醜態しゅうたいさらさないで済んだかもしれないのに――後になって悔やむことになると、彼方はこの時点では欠片かけらも想像していなかった。

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