天龍双

びびりな仔犬君

 こんなに浮かれてしまって大丈夫なのだろうか。憧れの先輩とつき合うことになって、七瀬勇樹は常に高揚こうようした気分で、真剣勝負を申し込んできた彼方に申し訳なくなるくらい舞い上がっていた。
 どうしてあんなに薫先輩は魅力的なのだろう。彼の恋人という称号を勇樹が得て本当によいのか時折不安になるものの、おおむね順調に二人は距離を縮めていた。
「薫先輩、あんな記事気にしないでくださいね」
 目下もっかの心配事は、委員長が彼方プロデュースで、薫先輩のネガティブキャンペーンを校内新聞で繰り広げていることくらいか。
「俺はこれが勇樹君の支持に影響しそうなのが怖いかな……」
 薫先輩は自身の評判よりも、勇樹のことを気にしてくれている。
「こっちが反撃しないのをいいことに、彼方のやつますますエスカレートしちゃって……」
 親友と恋人との板挟いたばさみで勇樹は苦労していたが、わかりやすい課題がある方が、気をまぎらわせられるのはよかった。
「彼方君はこっちの足下あしもとを見るのが上手だよね。なりふり構わなくなってるというか……あの手のタイプは思い込みが激しいからなあ」
 薫先輩は彼方を嫌いなのではないかと勇樹は最近思うようになった。彼方に対してどこかとげがあるのだ。
「彼方のこと、薫先輩はどう思ってるんですか?」
「例えるなら、もう少しで抜けそうなのに、しぶとくしがみついてる指に刺さった棘みたいなものかな」
「……あー、嫌いってことですか?」
「違うよ。早くリタイアしてくれないかなってことさ」
 勇樹の知る限り、薫先輩は他人に悪感情を持つことがないように見えるが、彼方は例外なのだろうか。
 冷ややかに吐き捨てた薫先輩は、鋭利えいり氷柱つららを思わせた。
「あの、彼方は何だかんだ言っても、根は悪いやつじゃないので……」
 大好きな先輩が大好きな親友を嫌うのは、少し寂しい。
「彼方君はひねくれてるだけで、勇樹君にはそうだよね。でも皆が皆、同じ顔を誰にでも見せるわけじゃないよ」
 彼方のことを話す薫先輩は、ちょっとだけ怖い。そんな勇樹の心境しんきょうに気づいたのか、薫先輩はふわりと笑った。
「ごめんね。俺、彼方君に怒っててさ……彼は勇樹君の大事なものを壊しかねないやり方をしてるから」
 勇樹の頬にすらりとした指をすべらせ、薫先輩は熱のもった瞳でささやいた。
「俺、勇樹君のことになると、冷静ではいられないんだ。どんなことをしてでも君を守りたいって思う。彼方君は強敵だよ。今の彼は勇樹君の希望を無視して、自分の信じる方向に物事を進めようとしてるから。勇樹君の気持ちを確かめもせずに暴走してる。そういうの、俺は嫌いだな」
 柔らかい表現に留めているが、薫先輩は相当怒っている。
「あの、俺は大丈夫ですから……一緒に乗り越えましょう!」
 彼方は委員長と放送委員会を壊しても構わないというくらいの心持ちで、薫先輩と敵対している。勇樹にとって彼方のやり方は好ましいものではないが、そこまでするのには何か理由があるのだろう。
「勇樹君……俺は少し過保護かな?」
 やや落ち込んだ様子の薫先輩に、勇樹は慌てて首を振った。
「薫先輩に落ち度は全然ありませんよ! 俺はただ、いつもの先輩が好きなだけで……」
 うまく表現できない自分が、勇樹はもどかしい。
「いつもの俺って、勇樹君にはどういうふうに見えてるの?」
 薫先輩はどことなく楽しそうだ。
「その、俺をまっすぐ見つめてくれるというか……怒ってると薫先輩を感じられなくて、何か遠い気がするんです」
 彼方も薫先輩も肝心かんじんなところを勇樹に見せてくれない。二人が対立しているのはわかるのに、一体何がそこまで気に食わないのか、どういう感情をお互いに抱いているのか、勇樹にはつかめない。
 彼方は蛇蝎だかつのごとく薫先輩を嫌っていて、薫先輩も彼方を鬱陶うっとうしく思っている。馬が合わないというだけでは片づけられない問題が根本にあるように見えるのに、それが何なのかはっきりしない。
 放送委員会に対する姿勢の違い? 彼方が放送委員会にそこまで執着しゅうちゃくしているようには思えないし、今まで取り成し役をになっていた薫先輩が、感情的な顔を見せ始めたのも意外だ。
 薫先輩はずっと我慢していたのだろうか。もしそうならば、勇樹はどうにかその負担を減らしたいと思う。
「俺の気持ちが知りたいの? かわいいなあ」
 薫先輩は少ない言葉からも、勇樹の思いをみ取ってくれる。毎回かわいいと言われるのは、不本意ふほんいつ不思議だが。
「薫先輩のこと、もっと教えてください」
 勇樹は薫先輩みたいにさっせないから、こうやって直球でくしかない。
「……うん、いいよ。もっと教えてあげる」
 薫先輩の笑顔のしつが変わったように感じた。
「勇樹君、俺は君にもっと知って欲しい――俺の隠してる部分も、何もかも」
 薫先輩は机に広げていた原稿用紙を脇にどけて、隣に座っていた勇樹をまな板の上に乗せるように机上きじょうに持ち上げた。
「え、え!? こ、ここ学校ですよ!」
 勇樹は馬鹿の一つ覚えみたいに、薫先輩が迫ってきた時は、場所の指摘しかできない。
 そのまま机に押し倒された勇樹は、薫先輩がどんどん近づいて来るのを、身動き一つできずに享受きょうじゅした。
「大丈夫、この資料室には滅多に人が来ない。それに鍵もかけておいたからね。勇樹君、好きだよ。君が平気なところまでしかしないから安心して」
 行動は大胆だいたんだが、薫先輩は決して無理強いはしない。勇樹の頬にキスして、少しずつその範囲を広げていく。手がシャツの中に入ってきて、優しく脇腹わきばらを撫で、背中をなぞる。
 もう限界だ。勇樹の頭が沸騰ふっとうしそうになると、薫先輩は手を止めてくれるのだが、今日は何故か違った。
「俺は勇樹君に嫌われなければ、モラルとか吹っ飛んじゃうんだよね。勇樹君とは学年も違うから、昼休みや放課後しか一緒の時間を取れないし……朝は彼方君と登校してるし、休みの日だって……」
 薫先輩は勇樹を起き上がらせてくれたが、机からは下ろさずに、抱き締めた状態で、シャツの中から直に背中を撫でている。
「あの、薫先輩……」
 勇樹は薫先輩の優しい触れ方が好きだが、恥ずかしくて思考がまとまらなくなる。
「はあ……予想以上に彼方君が邪魔で……俺はいっぱい勇樹君といちゃいちゃしたいのに……」
 この前の休日に薫先輩とデートしようとしたら、急に現れた彼方が血相けっそうを変えて止めてきたのだ。
『終電を逃したら終わりだぞ!!』
 意味不明で、勇樹は彼方が委員長を相手にするストレスで発狂してしまったのかと思ったが、本人は至って正気らしく……。
『お前が水無月にだまされてるのはわかってる。いいか、世の中には恐ろしいことがたくさんあって、高校生の男二人が遊び歩いた挙げ句に終電を逃して、外泊することになるということは……』
 最後の方はもごもご言っていて聞こえなかったが、彼方は勇樹たちが補導されるのを危惧きぐしているようだった。
『確かに俺はいかにも学生に見える。薫先輩は平気だろうけど……でもそんな夜遅くまではいないから、安心していいぞ。良い子が寝る時間には帰る』
 勇樹は彼方の薫先輩への暴言を最近は聞き流している。彼方の発言に反応すると、喧嘩になってしまうからだ。勿論後で彼方の分まで薫先輩に謝っているが。
 彼方と喧嘩して時間を無駄にするくらいなら、勇樹はその分を薫先輩と楽しく過ごしたい。
『勇樹は純粋だから、腹黒い水無月の口車に乗せられそうだ。俺もついてく。別に何も問題はないよな?』
 彼方はふてぶてしい態度で宣言したが、薫先輩は笑顔で拒絶した。
『問題大ありだよ。全力でご遠慮願いたいね。彼方君は自分のやり方が諸刃もろはつるぎだって自覚ある?』
『ただの先輩と後輩の遊びに加わることの何が悪いんだ?』
 彼方と薫先輩の間に、ものすごい火花が散っていた。
『この組み合わせを見て、そういう発想になるのは、想像力が足りないんじゃない? 彼方君に合わせた言い方をしてあげると、対立候補なわけだし? ここで引き下がらないと、逆に彼方君が困っちゃうでしょ』
 ここで彼方の表情が地獄の狼のようなすさまじいものになったので、勇樹は慌てて薫先輩を援護えんごした。
『ほ、ほら! 三人だと数が半端だし、今の関係的にも二対一はフェアじゃないから、彼方は今度な。委員長も呼ぶっていうなら、話は別だけど!』
 余計な一言をつけ加えなければよかった。毒を食らわば皿までとばかりに、彼方は委員長を呼び出し、断ってくれればよいものを、意気揚揚ようようと委員長は合流してしまったのだ。
 デートはお預けどころか、異常に盛り上がった委員長に振り回されて、すっかり勇樹たちは疲れてしまった。彼方だけは妙に満足げだったが……。委員長と組んだ俺の苦労を思い知れ! とでも考えていたのだろうか。
「あ、あの、薫先輩……」
 だからこうなったのか。勇樹から離れようとしない薫先輩に、心臓が尋常じんじょうでないほど揺れる。
「今は二人だから、先輩はつけなくていいよ」
 耳に口づけられて、勇樹はいよいよ全身の力が抜けてしまった。薫……さんに触れられると、勇樹の低い耐性がすぐに限界を突破して、何もできなくなってしまう。
「うう……薫さんは大丈夫なんですか……?」
 勇樹ばかりがこんなふうになるのは、不公平な気がする。
「何が?」
 面白そうに視線を合わせてくる薫さんは、わかっていて訊いている。
「俺ばっかり恥ずかしがってるんじゃないかと……」
 自然とねたような口調になると、薫さんはくすりと笑った。
「俺は本能のおもむくままに行動してるだけだから、恥ずかしさはないかな。もちろん勇樹君に合わせるけどね?」
 勇樹が慣れるのを待ってくれているのはありがたいが、やられっぱなしでは男として引き下がれない。
「お、俺も自分からする分には恥ずかしくないですから!」
 なけなしの勇気を振り絞って、勇樹は薫さんの唇に触れるだけのキスをした。
 薫さんはたくさんキスしてくるのだが、何故か唇だけはいつも避けていたのだ。
「勇樹君に奪われちゃった」
 語尾にハートマークでもつきそうな勢いで、薫さんは一瞬で身を引いた勇樹を後追いしてくる。
「俺たちのファーストキスは、勇樹君からだね」

 勇樹は薫にどきどきさせられっぱなしだ。勇樹からして以来、薫は二人だけの時間には、必ず口にキスしてくるようになった。
「あうう……」
 何度も限界点を突破したように思えるのに、これでもまだ恋人のスキンシップとしてはじょくちなのだから、今後勇樹の心臓は持つのだろうか。
「勇樹君、気づいてる? すごく色っぽい顔してるって。そろそろもう少し先に進んでみる?」
 薫は獲物を狩るような目で、勇樹の耳朶じだんだ。
「む、無理です……許してください……」
 この先とは一体何を指しているのか、未知の世界にいどむには、今の勇樹ではあまりに力不足だった。
「うん。かわいいから許してあげる。でも勇樹君が自分からする分には平気なんだよね? 俺は大人しくしてるから、今日は勇樹君からしてみてよ」
 薫は勇樹の限界を見極めながら、いつもぎりぎりまで迫ってくる。昼休みや、休み時間、放課後に少しでも二人になれる時間があれば、積極的に触れてくるから、勇樹は否応いやおう無しに慣れさせられた。
「え、俺から……?」
 力の入らない身体で、勇樹はそっと薫に唇を寄せた。普段の仕返しをするほどの余力はないが、悪戯心で彼の弱い場所に手を伸ばすくらいのことはする。
「ここだけはいつも避けますよね」
 首筋に指先をわせると、薫は身じろぎした。
「気づいたんだ?」
 余裕の笑みを崩さない薫に、勇樹は思い切って行動を起こす。
「こ、ここなら見えませんから……」
 髪で隠れている部分に口づけ、少し強めに吸ってみる。うまくいかなくて、何度か試してやっとあとを残せた。
「仔犬のマーキングです」
 顔から火が出るほど恥ずかしいなら、言わなければよかっただろうか。
「……仔犬君は俺をあおる天才だよ」
 薫から余裕を奪えたが、彼が一定の落ち着きを保っていたのは勇樹のためだったと、この後思い知らされることになる。
 学校の資料室で可能な範囲ではあるが、勇樹は薫に翻弄ほんろうされたのだった……。

「うわっ、守部もりべどうしたのその顔!?」
 クラスメートの守部がいちじるしく頬をらして登校してきたので、勇樹はぎょっとした。
「いやあ、マイシスターに怒られちゃって……」
 どことなくほこらしげなのは何故だろう。
「え? その顔、妹にやられたの?」
 男に殴られたのかと思った。
「俺が悪いんだよ。俺、この間お前たちに三角関係とか言っちゃったじゃん? そのことを話したら、多感な時期に公衆の面前めんぜんでデリカシーなく踏み込んで、万が一にでもとうとい芽をむことになったら殺してやるって言われちゃったよ」
 何でそんな物騒な内容を嬉しそうに話せるのだろう。
「ごめん、俺、守部の言ってること一つも理解できないや……」
「勇樹、守部と話すな。馬鹿と変態がうつる」
 彼方との関係はぎくしゃくしているが、こういう時は昔に戻れたような気がする。
「そうか……」
 何となくしんみりしていると、守部が騒ぎ出した。
「おい、最近突っ込み不在ふざいもいいところだぞ! 俺は妹に限りなく甘いだけで、馬鹿でも変態でもない!」
「ごめん、ごめん。守部は俺より成績いいもんな。ところで守部の妹って何て名前だっけ?」
 守部の成績は勇樹以上彼方未満だが、真ん中よりは上の順位だ。ちなみに彼方はいつも上位五名に名を連ねている。
「妹の名を呼んでいい男は俺だけだ!」
 シスコンを極めた守部に、女子から非難が殺到さっとうする。
「このシスコン変態! どん引きだわ!」
「まじきもい! 彼方君に迷惑かけんなし!」
「あんたと同じ空気吸いたくない」
 女子のののしりなんて何のその。全く応えた様子のない守部を、勇樹は尊敬した。
 以前守部がクラスで男同士の恋愛に言及げんきゅうしたのは、だった勇樹を幾分いくぶんおびえさせた。
 王子様のキスで目覚めるのはお姫様というのが世の常識で、お姫様の位置に男がいたら何の冗談だと思われてしまうだろう。
 薫が王子様ならば、勇樹は従者くらいの立ち位置だ。そんな当たり前のことが勇樹はわかっていなかった。
 勇樹は薫に釣り合っているとは言えない。だってあんなに薫はすてきなのだ。彼が勇樹のことを好きでいてくれるのは、奇跡に近い。
 だから勇樹は薫の求めに何が何でも応じようと決め、何とか恋人として及第点きゅうだいてんはもらえるかもしれないレベルにまで到達した。
 薫に失望されたくない。嫌われたくない。好きでい続けて欲しい。
 臆病な勇樹は、従順な恋人でいることが、薫の愛を繋ぎ止めると信じて疑わなかった。
「ねえ、勇樹君。もっと自分を出していいんだよ」
 ある日の放課後、薫はお行儀良くひざに乗る勇樹の顔を覗き込んできた。
「え、何ですか急に」
 勇樹の底の浅い考えを見透みすかされた気がした。
「俺とつき合いだしてからの勇樹君は、まるで借りてきた仔犬みたいだ。そういう君もかわいいけど、もっとわがまま言っていいし、君らしく振る舞って欲しいな」
「……俺らしく……」
 勇樹は自己評価が低いため、すんなりと薫の言うことを受け入れられなかった。
「俺、薫さんに呆れられたくないんです……」
「呆れないよ。俺はどんな君でも好きだよ」
「……じゃあ一つだけ……俺、いつも鼻血出そうです」
「えっ、何で!?」
「薫さんがかっこいいから、頭に血がのぼっちゃって……もうこの際だから言いますけど、俺は薫さんとキスすると踊り出したくなります。部屋中を走り回りたくなるというか……そういうのって落ち着きがなくて嫌じゃないですか?」
「嫌じゃないよ。かわいい反応じゃないか。むしろ見てみたいな」
「絶対引かれる自信があります。俺、でれでれし過ぎないように、いつもがんばってるんです。ちょっと触れられるだけで、変な声も出ちゃいそうだし……」
 薫は全く重くとらえていないが、勇樹にとっては死活問題だ。
「変な声? どんな感じ? 俺に聞かせてよ」
 一体何が琴線きんせんに触れたのか、薫は急に狩人かりうどの顔つきになった。
「え、恥ずかしいから我慢します」
「恥ずかしがらなくていいよ。俺は仮に勇樹君がお風呂嫌いの仔犬でも愛せるから」
「その例え、何か微妙です……」
「うん、知ってる。俺も男の子だから、おいしそうな勇樹君を前に、馬鹿になることもあるんだ」
「俺、おいしくないですけど……一緒ですね」
 勇樹と薫は目を見交わして笑った。

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