天龍双

泣くな仔犬

 世界が終わる。この世が地獄となる。辛うじて色彩を保っていた世界は、みにくい姿だけを浮き彫りにさせて、悪魔が七瀬彼方にささやく。
 こんな世界壊してしまえ――しかし彼方はあらがうのだ。そんなことをしたいわけではない。己の内側からこぼれ落ちそうになる真っ黒な悪意に、鬱鬱うつうつと向き合うだけのむなしい時間。
 結局彼方は勇樹のいる美しい世界に何もできやしない。彼方の破壊衝動は、傷ついた心の裏返しに過ぎず、すぐに意識は現実的な計画に向かう。
 勇樹とあの泥棒狐どろぼうぎつね――水無月薫の交際が順調なのは、彼らの様子から察せられる。ものすごく不愉快で、彼方は衝動的に水無月を窓から突き落としたくなるが、勇樹の心に傷跡きずあとを残すような真似はしない。
 やるなら一切の未練がないように勇樹を心変わりさせた後で、完全犯罪だ。いや、勇樹と両想いになったら、水無月にそこまで労力をこうという気にはなれないだろう。
 とにかく彼方の心はすさんでいた。
「彼方君、とうとうこの日が来てしまったね……!」
 どうしたらこうなるのか、小一時間くらい問い詰めたかったが、彼方は志部しべと極力議論したくなかった。
 正直頭が痛い。事前に教師の許可は得たものの、どうして二人そろってこんな馬鹿みたいな恰好かっこうをしているのか。
 提案者は彼方だったが、間違いなく志部が悪化させた。自棄やけになって任せてしまったのが敗因だが、人として惨敗ざんぱいしたとしても、選挙戦自体に敗北はしないだろう。むしろ圧倒的な勝利を収める可能性すらある。
 反則に近いやり方だが、この有様に水無月も文句は言えないはずだ。何せ彼方がもてるのは、彼方の実力だから。
「われわれは本日人類の歴史をり替える」
 やる気満満まんまんな志部の神経を疑う。よもやここまでとは。
「……水無月のやつを徹底的に叩き潰しましょう!」
 志部と唯一相容あいいれる目標を掲げ、彼方は放送委員会の暴走ミサイル――志部しべまことを発射したのだった。

 彼方たちが話す直前に窓を暗幕で覆い、体育館を暗くするのは、志部の配下の新聞部員がやってくれた。ちなみに放送委員会以外の委員会は選挙には参加しない。選挙前にそれぞれ前任と後任の委員長が壇上だんじょうで紙を見ながら、引き継ぎの儀礼的な演説をして終わりだ。
 前座のような生徒会選挙は、対立候補もいない新任・不信任投票だけなので、盛り上がりに欠けたが、その方が彼方たちには好都合だった。
 順番は彼方たちが先行で、志部の応援演説から入る。これで何も起きないわけがない。
 演劇部から指導を受けた新聞部員が照明を担当し、暗くなってざわつく生徒たちを前に、壇上に立った志部にライトが当てられた。
「私を見よ!! この時をずっと待ち望んでいた――我こそは放送委員会の元魔王である」
 目をおおいたくなるような痛ましい光景だ。完全に失敗した不気味な特殊メイクで、志部は一瞬で体育館から音を奪った。やけにった魔王の衣装と、頭につけた本物の鹿の角が彼の妙なこだわりを示している。
「敵は学んだ!! 暗黒が常に漆黒しっこくまとって接近してくるわけではない!! 本当の脅威きょういは人の姿を取って現れるのだ!!」
 これでも彼方は志部の原稿を修正した方なのだ。初稿はまるで要領を得ない、じくがぶれまくった酷いものだった。脚本も演出も三流だが、技術だけは新しい映画ならば、ほんの少し手を加えるだけでも見違える。
 志部という男の本質を観客――全校生徒と教師に知れ渡らせるには、相応しい場を用意しなければならない。誰にでもわかりやすく、濃縮のうしゅくした志部を突きつける。
「私は放送委員会から生まれた!! 前委員長である志部誠は、前副委員長の陰謀いんぼうによって魔道に身をとしたのだ!!」
 志部の言うことは一歩間違えれば、教師陣に自粛じしゅくを求められかねないが、ここまで突き抜けてしまうと手のつけようがない。
 敵視してはいるが、水無月のヘイトスピーチというわけでもなく、ひたすら志部なのだ。
「前副委員長、水無月薫こそが現魔王である!! 真の魔王とは聖者の顔で勇者を闇に突き落とすのだ!!」
『志部は大丈夫なのか?』
 放送委員会の担当教師に志部の原稿を見せたら、えらく心配されたが、全ては水無月を布石ふせきなのだ。
 しかし志部のこれは、案外はまり役だと彼方は思った。皆圧倒あっとうされて壇上に視線が釘付けだ。紙一重の差で、相手にされずに白ける支離しり滅裂めつれつな頭のおかしい人間扱いはされていない。
「幼き勇者、七瀬勇樹は傀儡かいらいに過ぎぬ……! 私は今こそ彼の勇者の真の盟友めいゆうの封印を解き放ち、刺し違える覚悟で我が宿敵に挑もう!! いでよ、黄よみの世界よりよみがえりし大魔法使い!!」
 あまり話を長引かせるとこの緊張感がゆるむと、諸諸もろもろ省略させたが、恐らく聴衆ちょうしゅうはその疾走感しっそうかんに息切れしそうになりながら、全く内容は理解せずに、固唾かたずんで次の言葉を待っている。
 舞台そでの椅子に座っていた彼方は、おもむろに立ち上がった。ゆったりとした足取りで、壇上の志部からマイクを受け取る。
 彼方の演説に余計な演出はいらない。場の雰囲気に合わせて衣装は着替える予定だったが、まさかここまで手遅れと言えるものになるとは……内心のため息は、彼方の力を良い具合に抜いてくれた。
 今回のために新調したやけにお洒落な黒装束くろしょうぞくを身にまとい、彼方は体育館を見渡した。
 勇樹がぽかんとした顔でこちらを見上げているのが愉快だ。今この時だけでも、彼の視線を独り占めしたい。
「どうも、大魔法使いです」
 一体どんな続きがあるのか、注視していた観衆が拍子抜けしたのがわかった。女子なんかは一転して、くすくす笑い出している。
「さて、志部前放送委員長の熱烈な応援演説を踏まえて、私も少しお話ししましょう。これは放送委員会の内部紛争ふんそうが表に出た形です。御覧の通り、志部前委員長は、水無月前副委員長と対立関係にあり、それを私と私の親友である勇樹君が引き受ける形になりました」
 教師陣は彼方の原稿を読んだから、志部の奇行を見逃してくれたのだ。
「勇樹君は素直で気持ちの良い男ですが、私は彼とは対極に位置する人間です。それゆえに、何事もなかったように振る舞うことはできませんでした。代替わりしたからといって、先輩方の確執かくしつをなかったことにはできなかったのです。しかし私たちの代にまで持ち越すべきものだとも思いません」
 決着はここでつける。
「だからこの路線の違いゆえに発生したずれを修正するため、皆さんに選んでいただきたいのです。パフォーマンスにより、視点が定まりにくいかもしれませんが、それも含めての選挙戦です。実際の選挙のような制約がないゆえに、よりその傾向が顕著けんちょに現れました」
 彼方に魅入みいっている、何も考えていなさそうな女子は、演説内容に関わらず、こちらに投票してくれるだろう。
 彼方が今取り込もうとしているのは、水無月寄りで良識のある女子だ。男子票は最初から当てにしていない。
 何故なら彼方は男子に人気がないからだ。しかし全校生徒の半数を占める男子票を切り捨てて、果たして当選できるのか?
 彼方は胸を張って答える。できると。
「さて、皆さん御存じの通り、志部前委員長は新聞部の部長です。校内新聞を御覧になった方の中には、その内容に驚いた方も多いと思います。校内の人気者の水無月前副委員長に対して、厳しい姿勢をつらぬいていた論調に反発を覚えた方もいるでしょう」
 男子票そのものをなくしてしまえばよいのだ。彼方の戦略は、始めから男子票の切り捨てを念頭に置いている。
 今回の選挙戦は一見過熱しているように見えるが、男子の中には白けている者も多い。
 その原因は女子にある。女子が校内の人気を二分する男二人が前面に出て争っていることに、熱を上げ過ぎているから、男子は面白くないのだ。
 水無月は自らが裏方にてっすることで勇樹に有利に物事を運ぼうとしていたが、彼方が引っ張り出すことで、その存在感を薄められなかった。
 人間誰しも持ち得ているであろう嫉妬。表立って取り沙汰ざたされるのは女のみにくい嫉妬だが、真に危惧きぐするべきは男のそれだ。
 男は女ほど根に持たず、さっぱりしているという印象を抱きがちだが、それこそ男の見栄みえ――プライドの高い男が作り出したイメージだと気づく者は少ない。
 古今東西ここんとうざい、何かを得るために殺し合うのは男の専売特許と言っても過言ではないだろう。
 仕事と私、どっちが大事なの? ――よく女を揶揄やゆするのに使われるフレーズで、女は男の事情など関係なく、自分が一番なのだと訳知わけしり顔で語る男こそ、自らに突き刺さる言葉をそうとは知らずに口にする。
 男こそ自分がナンバーワンでなければ気が済まないのだ。それがどういう形であれ。
 頂点を取れない者は、その劣等感を女で発散する。マザコン男が多いのは、自らを無条件で包み、愛してくれる唯一の女性が母親だからだ。
 最も魅力的で、慕われて、求められる男は自分だと、声を大にして言いたい。それがかっこ悪いという風潮ふうちょうならば、内に秘めるだけで、男とはそういう生き物だ。
 もっとも、男が女よりも単純であるのも事実だ。男は女に尊敬されたい。女に熱い眼差しを向けて欲しい。常に一番でありたい。
 その対象が女でないだけで、彼方だってそうだ。勇樹と想いが通じ合えば、こんな人を殺しかねない荒れ狂う内心が、嘘のようにぐだろう。
 こういう俺も受け入れて欲しい――口がけても彼方は勇樹にそんなことは言えない。見栄が、プライドが、本音の吐露とろさまたげるのか? 違う。これは本音ではない。
 男は一番を得たがる。そういう本能を否定はしないが、彼方は存外ぞんがい不器用な己の性質に自覚がある。
 彼方は勇樹に選んで欲しいのだ。一番を決めるのは彼方ではない。
「しかし私はあの記事にいつわりはないと思っています。水無月前副委員長が志部前委員長に対して本気で向き合っていなかったことは事実です」
 決定権を相手にゆだねてしまう。真の愛とは、そういうものだと彼方は思う。こうするべきだと、どうして強要できるだろうか。
 尊くて愛しい勇樹という個を前にして、彼方は何も言えなくなってしまう。彼の愛を得たいと動くことすら、彼方には困難なのだ。
 あがめるでもなく、屈服くっぷくするでもない、この気持ちは何て表現すればよいのだろう。彼方は勇樹に自身の抱く愛を捧げるだけで幸せなのだ。
 しかし彼方は充分じゅうぶんに愛情表現ができていないから、どうしたって苛立ってしまう。勇樹を見てよいのは彼方だけだ――自身でも制御しがた灼熱しゃくねつの激情が身体のしんから飛び出してしまいそうだ。
「私は志部前委員長を(ある意味で)尊敬しています。彼の話から学ぶことは多いです」
 志部は彼方の選ばなかった道を選ばなくてよかったと改めて思わせてくれる相手だ。加えてああいう道を進むと、ああなってしまうのかとしょっぱい気持ちになる。
「常に最善の道を選んできた水無月前副委員長にとって志部前委員長は、アウトローな存在でしょう。いえ、遠慮えんりょした物言いはやめましょう。逸脱者いつだつしゃ生殺なまごろしにしていたのが水無月先輩のやり方です」
 志部にはアウトローや逸脱者よりも敗北者と形容するのが相応しいが、流石にそこまで毒舌は振るえない。
「結果、志部先輩は魔王になってしまった」
 わざとらしく沈痛ちんつうな面持ちを作り、彼方が志部を示すと女子の間で笑いが起きた。
 志部はどことなく嬉しそうだ。
「今回のように表立って対立はしないけれど、表向きは笑顔で、水面下にて相手の力をぐ。水無月先輩の手腕しゅわんには恐れ入りますが、同時に何て残酷なことをするのだろうと思います」
 彼方は馬鹿にもわかりやすい説明を心がけているが、恐らくあの阿呆面をさらす男子には伝わっていないだろう。
 それでよい。こちらの真意を理解しない方が煽動せんどうしやすい。
「戦いたいのに戦わせてくれないのは、不完全燃焼ねんしょうもいいところです。だから今回、応援勝負ではありますが、志部先輩は全力で挑みました。砕け散ることを恐れずに、水無月先輩にぶつかったのです。今度こそ正面から水無月前副委員長が受け止めてくれると信じて」
 さあ、もう逃げることは叶わない。この爆弾を手渡されて、水無月はどうする?
「私が目指す放送委員会は、学生らしからぬ腹芸はらげいで平和を演出する場所ではなく、愚直ぐちょくなまでの真実で意見を戦わせるような、生徒間に最小限の利害関係しか発生しない学校という空間を最大限に生かしたものにしたいです。要は俺のやりたいようにやるってことだ」
 彼方の身勝手さは、カリスマと混同こんどうされて女子には人気がある。
「俺が放送委員会を進化させる。だから勇樹は副委員長になって俺を支えろ。私、七瀬彼方の言いたいことは以上です」
 生徒たちが放送委員会に求めることは何か? お昼の放送に自分たちの持ち寄ったCDや流行はやりの曲を流したい? インタビュー企画に呼んで欲しい? どれも取るに足らない、弱い要望だ。
 全員が全員、昼休みに耳をそばだてて放送を聞くわけでもない。彼方の放送当番の日には、命がけでうるさい男子を黙らせる女子の一団もあるらしいが……。
 放送委員会の役割は、然程さほど重要ではない。生徒会選挙よりも盛り上がっているのは、目新めあたらしさと顔触れが要因だ。
 そもそも金も回らない、下手すれば雑務ざつむを引き受けるだけの矢面やおもてに立つ役回りの人選に生徒の関心は高くない。何せ大きな金が動く実際の選挙でさえ、投票率は高くないのだ。
 高校の選挙戦で掲げる公約などたかが知れている。一部のまじめちゃんは演説内容を吟味ぎんみするかもしれないが、女子の間では実質彼方と水無月の人気投票だ――直接彼方に票を入れられる分、こちらに有利なだけの。
 それを水無月はいかにも対立候補の彼方たちが手強てごわいような振りをして、勇樹の時間を独占していたのだ。
 はっきり言うが、彼方たちに興味のない女子や男子にはどうでもよい茶番ちゃばんだろう。志部のパフォーマンスには、流石に驚いたかもしれないが……。
 彼方は事前に投票は義務ではなく権利だと教師陣に言い含めておいた。だから無記名で、生徒会役員の新任・不信任と、放送委員長に選ぶ生徒の名前に丸をつけるだけの簡単な用紙を全校生徒に配ったが、強制性はないので、白紙票も当然ありる。
 女子が熱を上げれば上げるほど、男子はそれに密かに反発するように、白紙を投じるだろう。紙を捨ててしまう者も多いかもしれない。白紙票が何割以上で再選挙という決まりもないのだから、彼方は痛くもかゆくもない。
 志部を面白がって彼方に投票してくれる層も一定数いるだろうから、水無月のきずき上げてきた広く浅い友情票を相殺そうさいできる。
 双方部活での繋がりはないのだから、あとは女子だ。女子の支持を多く得られた方が勝つ。最近水無月に恋人ができたという事実を広めておいたので、大分向こうの女子票を削れたはずだ。
『一途男、ついにその想いを叶える』
 志部新聞にこのような大見出しをつけるのは屈辱くつじょくだったが、全ては今日のため。
 仕込みはすでに終わっていたのだから、水無月のいた種を成長させてぶつけたのは、彼方の嫌がらせに過ぎない。
 ああ、どうして勇樹の隣にいるのが彼方ではないのだろう。
「えー、御指名に預かりました水無月薫です。最初に断っておきますが、この選挙戦はあくまでも勇樹君と彼方君のどちらが次期放送委員長に相応しいかを決めるもので、私は単なる前副委員長に過ぎません」
 彼方と水無月の人気投票ではないことを強調しているが、今更遅い。
「前委員長の志部君とは後ほど話しますので、今は勇樹君の応援演説を――」
「今話さないで、いつ弁明べんめいするんだ!?」
 水無月の態度は想定内だったので、あらかじめ話を通しておいた新聞部員その一が野次やじを飛ばした。
「……では少しだけ。志部君には気の毒なことをしたと思っています。私は彼をここまで追い詰めるつもりはなかったのですが、限られた委員会の時間内で、宇宙人の話に終始しゅうしするわけにはいかなかったことも知っておいてください」
 志部は宇宙人の話ばかりしている変な人という印象があるが、それを持ち出せば理解を得られると思っているのなら甘い。
「論点のすり替えだ! 仮に委員会をまとめなくてはならなくとも、志部と向き合わなかった理由にはならない!」
 志部を経由した彼方の指示通り、新聞部員その二が声を張り上げた。
「あー、演説中は静かにするように」
 予想通り教師から注意されたが、これでばっちり印象づけられたはずだ。
 水無月の悪印象――ではなく、この小競こぜり合いに関わる面倒さを。彼方が指揮するのだから、辟易へきえきするような幼稚なののしり合いにはしないが、もう勝手にやっていなさいと男子生徒に思わせたら勝ちだ。
「……私が志部前委員長を軽んじていたように本人が感じたなら謝ります。私なりに放送委員会を盛り立てたつもりですが、このような亀裂きれつを走らせる結果になってしまったこと、真摯しんしにおび申し上げます――って、こんな謝罪記者会見みたいなのは、もう終わりにしましょう!」
 水無月がおどけると、幾分いくぶんかほっとしたような空気が流れたが、ここで志部の出番だ。
「あいや、待たれい!! 我が魂の叫びにそなたは何と返す!!」
 一気に場を非日常が支配した。
「……志部君、彼方君と組んでお笑い芸人になったらどうかな?」
 水無月が笑顔で彼方に爆弾を投げ返してきた。彼方を三枚目にしたくない女子には不評な切り返しだ。
「そうやって……そうやって……いつも水無月君は僕を相手にしないんだー!!」
 台本通り、志部は鹿の角を投げ捨てて体育館から飛び出した。
「おい、志部! 戻ってこい!!」
 担任の制止にも耳を貸さず、志部は走り去った。
「何か志部君かわいそう……」
「水無月君ももう少し相手してあげてもいいのに……」
 痛痛いたいたし過ぎて、志部は女子に同情されている。
「何かよくわからないけど、彼方君の力になってあげたいわ」
 女子の間に謎の連帯感が生まれ、笑いをこらえる男子と、無関心あるいは白ける男子層に別れた。
「御覧の通り、志部君は放送委員会の爆弾です。爆発させたのは私ですから、私の不徳ふとくのいたすところです。しかし勇樹君が放送委員長になれば、時期爆弾候補の彼方君を爆発させずに、楽しい放送委員会を作ってくれるでしょう! 私、水無月薫からは以上です!」
 この雰囲気ふんいきの中で長く話すのは得策とくさくではないと判断した水無月は手早く切り上げたが、ちゃっかり彼方を志部と同類扱いしているのだから、どこまでも嫌な男だ。
 次は勇樹の話す番だが、この空気を軌道修正きどうしゅうせいするのは至難しなんわざだろう。
「あまりにイレギュラーなことが立て続けに起こったので、事前に用意した原稿は使えません。ですから俺は俺の言葉で語るしかありません」
 素直でかわいい勇樹は、こういう流れにならなかったら、相当水無月の手が入った原稿で演説をしていたと明かしている。
「俺も水無月先輩と同様に志部前委員長と向き合えなかったと思います。どういうふうに扱えばいいのかわからなかったからです」
 勇樹の正直な発言は、裏表がなくて好感が持てる反面、戦略性に欠ける――彼方がバックについていれば、もっと抑えるべき点を抑えて、勇樹の魅力を引き出せたのに。
「あのポスターの時点で驚きましたが、まさかここまで前委員長がはじけてしまうとは想像もしませんでした。前委員長の主張を俺は理解してませんが、後日徹底的に話し合う時間を取りたいと思ってます」
 話し合えばわかると信じている勇樹の無垢むくな心に、彼方は真実を突きつけなければならない。
 志部は水無月を人気者の座から引きずり落としたいだけなのだ。だから話し合いなどしても意味がない。やりが降っても志部は本当のことを語らないのだから。
 志部のねじくれたプライドの根本を見抜き、その上で真に彼を案ずるならば、話は別だが。
 そこまでしてやる義理はないし、他人の事情にばかり首を突っ込んで自分の人生を生きない者は、いずれ足元が崩れて共倒れする。
 いびつな信念を掲げ、不平不満を水無月に集約し、突出した野心を燃やす志部という男につける薬はない。支配者になりたい男にいくら道理どうりを説いたところで、馬の耳に念仏、暖簾のれんに腕押しだ。
 志部を正しく認識しない生徒たちに彼方は物事の本質が見えぬ馬鹿という言葉を送るが、勇樹にはそんなこと少しも思わない。ああ、何てとうと心根こころねなのだろうか。
 他人の悪意にうとく、どういう意図があるのか考えるくせがないのは、それだけまっすぐ育ってきた証拠しょうこだ――勇樹に限っては。
 勇樹以外には想像力のないおろか者と内心でこき下ろして終わりだ。そういう者がその無知さで足元をすくわれても、適者生存てきしゃせいぞんの一言で済ませる。
 勇樹にまで被害が及ぶのなら、彼方は徹底抗戦てっていこうせんする構えだが。
「俺は開かれた放送委員会を、もう一度取り戻します。まずはお昼のインタビュー企画を復活させます。それから流す曲もアンケートを取って、放送委員の趣味だけにかたよらず、全校生徒に寄り添ったものにします。あとは例えばお弁当のおかずが好みじゃなくて、テンションが下がった時でも楽しい気分になってもらえるような放送を目指します!」
 彼方はなごんだが、女子は反応が薄い。男子は勇樹に親しみを持つ者が少し笑った程度で、そこまで支持されている感じがしないのは、志部インパクトの影響だろう。
 水無月は失敗した。勇樹とつき合うことになって、その冷酷な本性を小出しにしていたゆえの失態しったいだ。
 善人ぶりたくて本来の能力を出し切れない水無月についたせいで落選する勇樹はかわいそうだが、彼方がなぐさめればよいのだ。
 彼方はもう恐れない。勇樹が彼方の影響を色濃いろこく受けて、それゆえに己をきつく縛っていたのなら、真実を伝えればよい。
 お前がお前のままでも快適に生きられる世界を俺が作るから安心しろ――その言葉を勇樹に言えなかったせいで、水無月が入り込む隙間すきまを埋められなかったのだ。
 今まで口にできなかったことも、全部教えるから。この愛を告げるから。
 勇樹には残酷なこともあるかもしれないが、絶対に彼方が守り抜く。
 彼方が見せるものが勇樹にとってみにくければ、美しく変えるから、どうか泣かないで。

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