4-03.泣くな仔犬
世界が終わる。この世が地獄となる。辛うじて色彩を保っていた世界は、
こんな世界壊してしまえ――しかし彼方は
結局彼方は勇樹のいる美しい世界に何もできやしない。彼方の破壊衝動は、傷ついた心の裏返しに過ぎず、すぐに意識は現実的な計画に向かう。
勇樹とあの
やるなら一切の未練がないように勇樹を心変わりさせた後で、完全犯罪だ。いや、勇樹と両想いになったら、水無月にそこまで労力を
とにかく彼方の心は
「彼方君、とうとうこの日が来てしまったね……!」
どうしたらこうなるのか、小一時間くらい問い詰めたかったが、彼方は
正直頭が痛い。事前に教師の許可は得たものの、どうして二人
提案者は彼方だったが、間違いなく志部が悪化させた。
反則に近いやり方だが、この有様に水無月も文句は言えないはずだ。何せ彼方がもてるのは、彼方の実力だから。
「われわれは本日人類の歴史を
やる気
「……水無月のやつを徹底的に叩き潰しましょう!」
志部と唯一
彼方たちが話す直前に窓を暗幕で覆い、体育館を暗くするのは、志部の配下の新聞部員がやってくれた。ちなみに放送委員会以外の委員会は選挙には参加しない。選挙前にそれぞれ前任と後任の委員長が
前座のような生徒会選挙は、対立候補もいない新任・不信任投票だけなので、盛り上がりに欠けたが、その方が彼方たちには好都合だった。
順番は彼方たちが先行で、志部の応援演説から入る。これで何も起きないわけがない。
演劇部から指導を受けた新聞部員が照明を担当し、暗くなってざわつく生徒たちを前に、壇上に立った志部にライトが当てられた。
「私を見よ!! この時をずっと待ち望んでいた――我こそは放送委員会の元魔王である」
目を
「敵は学んだ!! 暗黒が常に
これでも彼方は志部の原稿を修正した方なのだ。初稿はまるで要領を得ない、
志部という男の本質を観客――全校生徒と教師に知れ渡らせるには、相応しい場を用意しなければならない。誰にでもわかりやすく、
「私は放送委員会から生まれた!! 前委員長である志部誠は、前副委員長の
志部の言うことは一歩間違えれば、教師陣に
敵視してはいるが、水無月のヘイトスピーチというわけでもなく、ひたすら志部なのだ。
「前副委員長、水無月薫こそが現魔王である!! 真の魔王とは聖者の顔で勇者を闇に突き落とすのだ!!」
『志部は大丈夫なのか?』
放送委員会の担当教師に志部の原稿を見せたら、えらく心配されたが、全ては水無月を
しかし志部のこれは、案外はまり役だと彼方は思った。皆
「幼き勇者、七瀬勇樹は
あまり話を長引かせるとこの緊張感が
舞台
彼方の演説に余計な演出はいらない。場の雰囲気に合わせて衣装は着替える予定だったが、まさかここまで手遅れと言えるものになるとは……内心のため息は、彼方の力を良い具合に抜いてくれた。
今回のために新調したやけにお洒落な
勇樹がぽかんとした顔でこちらを見上げているのが愉快だ。今この時だけでも、彼の視線を独り占めしたい。
「どうも、大魔法使いです」
一体どんな続きがあるのか、注視していた観衆が拍子抜けしたのがわかった。女子なんかは一転して、くすくす笑い出している。
「さて、志部前放送委員長の熱烈な応援演説を踏まえて、私も少しお話ししましょう。これは放送委員会の内部
教師陣は彼方の原稿を読んだから、志部の奇行を見逃してくれたのだ。
「勇樹君は素直で気持ちの良い男ですが、私は彼とは対極に位置する人間です。それゆえに、何事もなかったように振る舞うことはできませんでした。代替わりしたからといって、先輩方の
決着はここでつける。
「だからこの路線の違いゆえに発生したずれを修正するため、皆さんに選んでいただきたいのです。パフォーマンスにより、視点が定まりにくいかもしれませんが、それも含めての選挙戦です。実際の選挙のような制約がないゆえに、よりその傾向が
彼方に
彼方が今取り込もうとしているのは、水無月寄りで良識のある女子だ。男子票は最初から当てにしていない。
何故なら彼方は男子に人気がないからだ。しかし全校生徒の半数を占める男子票を切り捨てて、果たして当選できるのか?
彼方は胸を張って答える。できると。
「さて、皆さん御存じの通り、志部前委員長は新聞部の部長です。校内新聞を御覧になった方の中には、その内容に驚いた方も多いと思います。校内の人気者の水無月前副委員長に対して、厳しい姿勢を
男子票そのものをなくしてしまえばよいのだ。彼方の戦略は、始めから男子票の切り捨てを念頭に置いている。
今回の選挙戦は一見過熱しているように見えるが、男子の中には白けている者も多い。
その原因は女子にある。女子が校内の人気を二分する男二人が前面に出て争っていることに、熱を上げ過ぎているから、男子は面白くないのだ。
水無月は自らが裏方に
人間誰しも持ち得ているであろう嫉妬。表立って取り
男は女ほど根に持たず、さっぱりしているという印象を抱きがちだが、それこそ男の
仕事と私、どっちが大事なの? ――よく女を
男こそ自分がナンバーワンでなければ気が済まないのだ。それがどういう形であれ。
頂点を取れない者は、その劣等感を女で発散する。マザコン男が多いのは、自らを無条件で包み、愛してくれる唯一の女性が母親だからだ。
最も魅力的で、慕われて、求められる男は自分だと、声を大にして言いたい。それがかっこ悪いという
その対象が女でないだけで、彼方だってそうだ。勇樹と想いが通じ合えば、こんな人を殺しかねない荒れ狂う内心が、嘘のように
こういう俺も受け入れて欲しい――口が
男は一番を得たがる。そういう本能を否定はしないが、彼方は
彼方は勇樹に選んで欲しいのだ。一番を決めるのは彼方ではない。
「しかし私はあの記事に
決定権を相手に
尊くて愛しい勇樹という個を前にして、彼方は何も言えなくなってしまう。彼の愛を得たいと動くことすら、彼方には困難なのだ。
しかし彼方は
「私は志部前委員長を(ある意味で)尊敬しています。彼の話から学ぶことは多いです」
志部は彼方の選ばなかった道を選ばなくてよかったと改めて思わせてくれる相手だ。加えてああいう道を進むと、ああなってしまうのかとしょっぱい気持ちになる。
「常に最善の道を選んできた水無月前副委員長にとって志部前委員長は、アウトローな存在でしょう。いえ、
志部にはアウトローや逸脱者よりも敗北者と形容するのが相応しいが、流石にそこまで毒舌は振るえない。
「結果、志部先輩は魔王になってしまった」
わざとらしく
志部はどことなく嬉しそうだ。
「今回のように表立って対立はしないけれど、表向きは笑顔で、水面下にて相手の力を
彼方は馬鹿にもわかりやすい説明を心がけているが、恐らくあの阿呆面を
それでよい。こちらの真意を理解しない方が
「戦いたいのに戦わせてくれないのは、不完全
さあ、もう逃げることは叶わない。この爆弾を手渡されて、水無月はどうする?
「私が目指す放送委員会は、学生らしからぬ
彼方の身勝手さは、カリスマと
「俺が放送委員会を進化させる。だから勇樹は副委員長になって俺を支えろ。私、七瀬彼方の言いたいことは以上です」
生徒たちが放送委員会に求めることは何か? お昼の放送に自分たちの持ち寄ったCDや
全員が全員、昼休みに耳をそばだてて放送を聞くわけでもない。彼方の放送当番の日には、命がけでうるさい男子を黙らせる女子の一団もあるらしいが……。
放送委員会の役割は、
そもそも金も回らない、下手すれば
高校の選挙戦で掲げる公約などたかが知れている。一部のまじめちゃんは演説内容を
それを水無月はいかにも対立候補の彼方たちが
はっきり言うが、彼方たちに興味のない女子や男子にはどうでもよい
彼方は事前に投票は義務ではなく権利だと教師陣に言い含めておいた。だから無記名で、生徒会役員の新任・不信任と、放送委員長に選ぶ生徒の名前に丸をつけるだけの簡単な用紙を全校生徒に配ったが、強制性はないので、白紙票も当然あり
女子が熱を上げれば上げるほど、男子はそれに密かに反発するように、白紙を投じるだろう。紙を捨ててしまう者も多いかもしれない。白紙票が何割以上で再選挙という決まりもないのだから、彼方は痛くも
志部を面白がって彼方に投票してくれる層も一定数いるだろうから、水無月の
双方部活での繋がりはないのだから、あとは女子だ。女子の支持を多く得られた方が勝つ。最近水無月に恋人ができたという事実を広めておいたので、大分向こうの女子票を削れたはずだ。
『一途男、ついにその想いを叶える』
志部新聞にこのような大見出しをつけるのは
仕込みは
ああ、どうして勇樹の隣にいるのが彼方ではないのだろう。
「えー、御指名に預かりました水無月薫です。最初に断っておきますが、この選挙戦はあくまでも勇樹君と彼方君のどちらが次期放送委員長に相応しいかを決めるもので、私は単なる前副委員長に過ぎません」
彼方と水無月の人気投票ではないことを強調しているが、今更遅い。
「前委員長の志部君とは後ほど話しますので、今は勇樹君の応援演説を――」
「今話さないで、いつ
水無月の態度は想定内だったので、
「……では少しだけ。志部君には気の毒なことをしたと思っています。私は彼をここまで追い詰めるつもりはなかったのですが、限られた委員会の時間内で、宇宙人の話に
志部は宇宙人の話ばかりしている変な人という印象があるが、それを持ち出せば理解を得られると思っているのなら甘い。
「論点のすり替えだ! 仮に委員会をまとめなくてはならなくとも、志部と向き合わなかった理由にはならない!」
志部を経由した彼方の指示通り、新聞部員その二が声を張り上げた。
「あー、演説中は静かにするように」
予想通り教師から注意されたが、これでばっちり印象づけられたはずだ。
水無月の悪印象――ではなく、この
「……私が志部前委員長を軽んじていたように本人が感じたなら謝ります。私なりに放送委員会を盛り立てたつもりですが、このような
水無月がおどけると、
「あいや、待たれい!! 我が魂の叫びにそなたは何と返す!!」
一気に場を非日常が支配した。
「……志部君、彼方君と組んでお笑い芸人になったらどうかな?」
水無月が笑顔で彼方に爆弾を投げ返してきた。彼方を三枚目にしたくない女子には不評な切り返しだ。
「そうやって……そうやって……いつも水無月君は僕を相手にしないんだー!!」
台本通り、志部は鹿の角を投げ捨てて体育館から飛び出した。
「おい、志部! 戻ってこい!!」
担任の制止にも耳を貸さず、志部は走り去った。
「何か志部君かわいそう……」
「水無月君ももう少し相手してあげてもいいのに……」
「何かよくわからないけど、彼方君の力になってあげたいわ」
女子の間に謎の連帯感が生まれ、笑いを
「御覧の通り、志部君は放送委員会の爆弾です。爆発させたのは私ですから、私の
この
次は勇樹の話す番だが、この空気を
「あまりにイレギュラーなことが立て続けに起こったので、事前に用意した原稿は使えません。ですから俺は俺の言葉で語るしかありません」
素直でかわいい勇樹は、こういう流れにならなかったら、相当水無月の手が入った原稿で演説をしていたと明かしている。
「俺も水無月先輩と同様に志部前委員長と向き合えなかったと思います。どういうふうに扱えばいいのかわからなかったからです」
勇樹の正直な発言は、裏表がなくて好感が持てる反面、戦略性に欠ける――彼方がバックについていれば、もっと抑えるべき点を抑えて、勇樹の魅力を引き出せたのに。
「あのポスターの時点で驚きましたが、まさかここまで前委員長が
話し合えばわかると信じている勇樹の
志部は水無月を人気者の座から引きずり落としたいだけなのだ。だから話し合いなどしても意味がない。
志部の
そこまでしてやる義理はないし、他人の事情にばかり首を突っ込んで自分の人生を生きない者は、いずれ足元が崩れて共倒れする。
志部を正しく認識しない生徒たちに彼方は物事の本質が見えぬ馬鹿という言葉を送るが、勇樹にはそんなこと少しも思わない。ああ、何て
他人の悪意に
勇樹以外には想像力のない
勇樹にまで被害が及ぶのなら、彼方は
「俺は開かれた放送委員会を、もう一度取り戻します。まずはお昼のインタビュー企画を復活させます。それから流す曲もアンケートを取って、放送委員の趣味だけに
彼方は
水無月は失敗した。勇樹とつき合うことになって、その冷酷な本性を小出しにしていたゆえの
善人ぶりたくて本来の能力を出し切れない水無月についたせいで落選する勇樹はかわいそうだが、彼方が
彼方はもう恐れない。勇樹が彼方の影響を
お前がお前のままでも快適に生きられる世界を俺が作るから安心しろ――その言葉を勇樹に言えなかったせいで、水無月が入り込む
今まで口にできなかったことも、全部教えるから。この愛を告げるから。
勇樹には残酷なこともあるかもしれないが、絶対に彼方が守り抜く。
彼方が見せるものが勇樹にとって