天龍双

仔犬君に見せてあげる

 水無月薫は最高に人生を謳歌おうかしていた。目の前で愛しい人が全てをさらけ出している。その心も身体も。定期的に確実に家族が家を空けてくれるのは、薫にとってこの上なく都合がよかった。
 こうして男子高校生二人が共に入浴していても、誰も不審に思う者がいないのだ。勇樹は薫のすることをいつも肯定こうていしてくれるが、どうしてもお許しが出ない行為も中にはあった。
 口淫こういんもその中の一つだ。勿論もちろん勇樹はする方ではなく、される方で、薫は彼にしてもらう予定は今のところない。とあることをきっかけに、薫がどうしてもかわいい勇樹の姿を見たくて、学校のトイレでしようとしたら、きたないから駄目だと拒否されたのだ。
 どうやら薫の口をよごしたくないらしい。そこで強引に押し切ってもよかったが、もっと楽しいことを思いついたので、薫はちゃっかり勇樹と一緒にお風呂に入る約束を取りつけたのだ。
『俺は勇樹君を汚いなんて思わないけど、気になるんだったら、俺が丹念たんねんに洗ってあげる』
『じ、自分で洗えますから……!』
『じゃあ洗いっこしようよ』
 勇樹は真っ赤になってうろたえていたが、薫がじっくりお願いしたらうなずいてくれた。彼自身の弱い部分を、優しく緩急かんきゅうをつけながら撫でて頼むと、大抵了承してくれるのだ。
『わ、わかりましたから……もう、その、お願いします……!』
 勇樹は粗相そそうをするのを恥じるように、全身を弛緩しかんさせながら、薫に懇願こんがんした。
『うん。周りを汚さないようにするいつものあれね』
 思わせぶりな言い方をしたが、何てことはない。限界を迎える勇樹の欲を、トイレットペーパーでこぼさずに受け止めるだけだ。
 薫は自分でうまくできるが、ぐずぐずに溶けてしまう勇樹は、手元がおぼつかないのだ。
 勇樹は薫に我慢させてしまっているという引け目があるらしく、こちらの要求をおおむね飲もうとする。
 我慢しているのは確かなので、勇樹の好意に甘えているが、実際の原因は薫にあるのだ。一生懸命な勇樹を見ていたいから、薫はあえてどうすればこちらが良くなるかを教えない。
 薫の様子をうかがいながら、触れてくる勇樹がたまらなく愛おしい。
 そして薫の勇樹に対する感覚が変態的過ぎるので、できれば黙っていたい。
 確かに勇樹は快楽に弱くて敏感びんかんだが、薫は彼の全てをめるように感じ取る力に長けている。その上彼よりも貪欲どんよくだ。
 薫は薫だけで、至上のよろこびを勇樹に与えた上で、共に快感を得たいのだ。だからどうしても彼の反応を確認しながらでないと、先に進めない。
「あ、あの薫さん、そういう洗い方されると、俺はうまくできなくて……!」
「うん、俺のは後で大丈夫だから」
 風呂場は声が響くため、勇樹はいつも以上に声を押し殺している。ボディーソープをたっぷり手に取って洗っているため、すべりがよくて動かしやすい。
「刺激の少ないものを選んでるから安心してね」
 最初からこういうふうにしつこく攻める予定だったので、肌に優しいタイプのボディーソープを買っておいたのだ。強くり上げると、勇樹は小さく悲鳴を上げた。
 ああ、何て楽しく充実した時間なのだろうか。
「じゃあ、そろそろ本日のメインを頂こうかな」
 あえて弱いシャワーでソープを洗い流すと、勇樹が身を震わせる。その後高級レストランの料理を味わうように、薫はかわいい仔犬に舌鼓したづつみを打ったのだった。

 薫はゆっくりと勇樹を自分仕様にしているが、完全にそうするには大きな壁があった。思い浮かべるだけでもしゃくな七瀬彼方が端端はしばしで顔を出すのだ。
 それは何も実際の行動だけを指すのではない。彼方は薫と勇樹の間に割って入ってくることもあるが、決定打を恐れるように踏み込まない領域があり、主にそれは勇樹の薫に対する気持ちと、二人の進展度合いを直視したくないからだろう。
 裏で着着ちゃくちゃくと何か準備はしているようだが。勇樹と薫が順調に恋人としての仲を深めているのを、彼方もある程度は予測しているようだが、確認することで精神的に打撃を受け、何らかの計画を遂行すいこうできなくなるのを回避しようとしているのか。
 薫よりも過ごした時間が長いのもあってか、勇樹は彼方に影響されている部分が多多たたある。ただし薫にとって悪い方面で。ついでに言えば、彼方自身にも思いもよらぬ弊害へいがいだろう。
 勇樹は彼方をストイックだと思っているようで、無意識に同調しているのか、性的なことに罪悪感を抱く傾向があるのだ。
『俺、まだ高校生なのに、こんなふうにき、気持ち良くなっちゃって、本当にいいんですかね……』
 薫の口でたっぷりかわいがられて、散散さんざんかわいい声を上げ、鳴き疲れた勇樹がぽつりとこぼした言葉には、誰かに対する遠慮があった。
 本人は特定の人物に向けてのものだとは思っていないかもしれないが、薫はそこに彼方の虚像きょぞうを見たのだ。
 勇樹は彼方を完全に誤解している。勇樹が思いえがく彼方は、どこまでも自分に厳しく、厳しすぎるゆえに、他人を辛辣しんらつながめながら、ひたすら己をりっする禁欲的な修行僧のような感じだろう。
 薫から見れば、よくぞそこまで食い違っていると感心するほどだ。彼方のために訂正する気など欠片かけらもないが、勇樹を縛る鎖になっているのならば、それは解くべきものだ。
 彼方の思わくをそのまま伝えれば、勇樹の心は少なからず揺れるだろう。彼方への恋情は抱いていなくとも、親愛の情はあるのだから。
 もう薫は勇樹が彼方に無意識に恋心を抱いているかもしれないなどと恐れることはない。本人の言うように、勇樹は薫を相手に初めて恋の好きを実感している。
 では彼方など薫の敵ではないと宣言できるかというと、そうでもない。何故なら勇樹にとって彼方は大切な親友だからだ。
 恋心を抱く親しい友ほど排除しにくいものはない。いつでも薫の後釜あとがまかすめ取る心積もりの執念深い彼方のことなど、本当は海の底にでも沈めてしまいたい。
 しかしそういうわけにもいかないので、今はじっくり勇樹に薫を教え込んでから、少しずつ彼を解放していくのだ。
 彼方の呪いのような拘束力――それが強ければ強いほど、勇樹にとって彼方が大きい存在だというのが悔しいが――を弱めて、彼の比重ごと完全に消し去って、二人で幸せになる。薫の領域で。
 今はまだ薫だけの場所ではない実家のカフェだが、いずれ自分が継ぐことになるのだから、今から好きにやらせてもらう。
 表向きはしがないカフェだが、薫の大いなる計画の第一歩なのだ。愛する人を世界一幸福にする箱庭拡大計画の一環で、いずれ薫は全部の時間を勇樹に注げるような勤務形態を作り上げるつもりだ。
 薫には才能がある。たぐまれな数字の才能が。だから必要なものだけをそろえる道筋が見えるのだ。それは何もお金を増やす方法ではない。何故なら必要な金額はすでに手元にあるからだ。別に薫は資産家の息子というわけではない。
 膨らんだお金の使用用途をいかに適正化するかなどと、どこぞの政治家のようなことを言うつもりはないが、その気になればいくらでも費用を捻出ねんしゅつできる。 
 結局は人の気持ちがお金を動かすのだから。どこまで生活の質を上げるかで使う金額が決まるのではない。何に使うかだ。
 薫は全て勇樹に注ぐ。薫に継続的に必要なのは、将来的には二人で共有する予定の食費・光熱費と服代等最低限の生活費だけだ。
 あとは建物の改修など一時的に払うお金や税金関係か。将来の構想に生活費や税金のことまで取り入れる高校生を見たら、大人たちはバブルが弾けた後の夢のない若い世代などと言って取り上げそうだが、取り上げる側の意図的な問題提起の思わくを除けば、想像力の欠如けつじょとしか言いようがない。
 人間の欲をき立てたい者たちには残念かもしれないが、この思考は薫が例外なだけだ。どうしたって薫は一般的なわくから外れてしまう。
 彼方は放送委員長選挙で、あえて志部に逸脱者という言葉を使っていたが、本当のそれは薫のような者を指すのだろう。
 一般的には、老後に必要なお金のことまで考えて悩み、いくら貯めなければならないなどと条件づけをしたり、何があるのかわからないのだからとなるべく支出を減らそうとしたり、逆に何も考えずにばんばん使ったり、自分のことには惜しみなく浪費したり、大抵が抜け出せない輪の中でぐるぐる行ったり来たりしている。
 薫から見れば、全て人間の欲望で放出し続けるから、支出は増える一方で、返って来ないものに恐れを抱いているのだ。
 薫は無欲なわけでも、筋金すじがねりの節約主義者でもない。むしろ誰よりも貪欲どんよくだからこそ、深く突き詰め、周りと距離ができたとでも言うべきか。
 薫はより勇樹を深く味わうこと以外に、彼に尽くす以外に興味がない。そして彼には薫自身を刻み込みたいから、薫で全部満たしたいから、この身が健全でまされていればよい。
 愛情で使ったお金は、お金という形ではなくとも返ってきてくれる。それは心を豊かにして、際限のない欲を満足させ、本当に必要なものを見えやすくする。
 幼少期から薫は必要な金額を必要なだけ集める才能に恵まれていた。笑ってしまうほどお金は人の思いが動かしている。だから薫にはどうすればよいのか視えるのだ。
 それゆえに、この世界のお金のカラクリとでも言うべきものを、ある程度は把握しているつもりだ。良い子でない薫だからこそ、今まではその見解を誰にも教えようと思わなかった。勇樹以外には。
 勇樹を観察すればするほど、彼が喜ぶことが物質的なものではないのがよくわかる。
 勇樹は薫の手が込んだ料理をおいしく食べてくれて、幸せそうな顔をするが、真に彼を幸福にするのはそこに込めた愛情なのだ。手先が器用な薫が努力したというのも当然あるが。深い愛情があれば技術はおのずと進化する。
 勇樹は本当に良い舌をしている。何事も想いが反映されるものだが、料理は特にそれが顕著けんちょなのだろう。
 薫は愛があれば誰もが一流シェフになれるとは思わないが、想いをともなわない技術の追求だけでは得られないもの――愛が広げる領域というのは確実に存在する。
 事実勇樹は薫の嫉妬のキスよりも愛情に満ちたキスの方を喜ぶのだから。薫は嫉妬したら、一層いっそう勇樹を自身に夢中にさせるために、気持ちの良いキスを仕掛ける。
 それはそれで勇樹もとろけるのだが、欲を交えつつもどんどん深まった先にある純度の高い愛情のキスの方が、彼が全身で喜んでいるように感じるのだ。
 何て敏感でかわいいのだろう。薫の想い次第で、ただの触れ合いでも様様さまざまな顔を見せてくれる勇樹に、のめり込んで帰って来られなくなってしまいそうだ。
 だがここでゲームを放棄ほうきしてしまったら、いずれ自分の首を絞めることになる。全く楽しくない、とても面白いあの遊びを途中でやめるわけにはいかないのだ。
「ね、彼方君」
 薫が笑顔で同意を求めると、彼方の殺意がみなぎった視線が返ってきた。
「落ちろ」
「えー、受験生にその言葉は禁句じゃない?」
 一応人目があるからか、過激な言葉は使わないが、彼方はいつになく不機嫌だ。
「俺が言ったのは、そこの窓からってことだ」
「さらっと何怖いこと言ってるの!」
 あえて薫は引いてみせたが、彼方が本気でないのはわかっている。勇樹の前で乱暴なことなどできやしないのだ。
「せっかく新旧の放送委員長副委員長がそろってるんだから、もう少しにこやかにやろうよ」
 薫はこっそり勇樹に目配せしたが、彼の表情はかたい。それも無理はない。薫の隣で異様な存在感を放っている志部しべに戸惑いを隠せないのだろう。
 あの選挙の後、教師たちのすすめもあって放課後や昼休みなどに、和解するための話し合いの場をもうけているのだ。あくまでも表面上だけは。
 続ける意義の感じられない集まりだ。関係性の悪化に貢献こうけんしているとさえ言える。
 この亀裂きれつの修復はもう絶対に不可能だろう。一見仲違なかたがいしているのは薫と志部だが、真に深刻なのは薫と彼方の永遠に埋まることのないみぞだ。
 彼方は勇樹が悲しまなければ、すぐにでも薫を徹底的に排除しようとするだろう。逆に勇樹の心を動かす存在でなければ、歯牙しがにもかけないだろうが。
「水無月君、外野が少少しょうしょううるさいが、そんなことを気にする君ではないだろう」
 志部がきてれつな恰好かっこうをしているのがこの状況を作り出していると言っても過言ではない。
 部外者の誰もが踏み込みはしないが、戦戦恐恐せんせんきょうきょうと、野次馬にもなりきれないままこちらの様子を廊下からうかがっている。
 どこでどう間違えたのか、すっかりコスプレにはまってしまったらしい志部は、おどろおどろしいメイクと、梵字ぼんじがびっしり書かれた袈裟けさのようなものを着て、まるで祈祷師きとうしだ。
 放送委員長選挙の時同様、頭には鹿の角をつけており、ますます悪化している。
「水無月君、僕も好き好んでこんな恰好をしてるわけじゃない。君と相対するゆえに、必要だったんだ」
 薫はどこまでこの志部という男が嫌がらせのためにしずんでいくのかと感心した。彼を知らない人からは頭がおかしくなったように見えるだろうが、実際ある意味でおかしいが、本人は至って正気なのだ。
「へー、一応聞いておくけど、何でそういう恰好をしようと思ったの?」
「水無月君が僕を無視しないようにだよ!」
「いや、普段から無視なんてしてないでしょ……」
 こうやって強烈な印象を残すことで、事実無根な薫の悪評を流そうとしているわけだ。やりすぎると逆効果だが。
「いや、水無月君はいつだって僕を相手にしない!」
「相手にしてなかったら、こんなふうに俺は君と向き合ってないよ」
 厄介だ。この上なく面倒だが、薫が育ててしまったようなものだから、この根深い毒草をらなくてはならない。
 どうしようもない負の連鎖を断ち切れない志部が、薫を絶対悪とすることでいびつに立っている現状に向き合わざるを得ない時が来た。
 中途半端な介入が、かえって燃料になってしまうのならば、いっそ全てってしまうか。
「では問おう。どうして水無月君は僕の隣に座ったんだね? 何らかの意図を感じるよ」
 志部は席順にまでいちゃもんをつける気か。薫の隣に志部、机を挟んで向かいに勇樹、斜め向かいに彼方という二年と三年で別れた形だが、確かに薫の趣味だ。
 正面に座る勇樹を眺めていやされたかったのだ。別にわざと彼方と志部を向かい合わせにしたわけではない。
 最初に到着していた志部の隣に座ったのは、決して彼方への嫌がらせではない。勇樹とアイコンタクトを取る姿を彼方に見せつけたかったわけでもない。
 一番の理由は勇樹の表情を見るためだ。しゃくだがあえて彼方と隣り合わせたのは、勇樹の感情の動き方を観測する目的なので、志部は全く関係ない。
 本意を察せられても困るが、見当違いな方向に勘繰かんぐられても迷惑だ。嫌なものをあえて避けているのではなく、直視しようとしているのだから。
「志部君が思うような理由ではないよ。その衣装に俺は特別な感想を抱かないからね」
 先ほど薫が提示したことは彼方に一蹴いっしゅうされたが、改めて言い直す。
「ここから先は俺と志部君の確執かくしつだから、放送委員会は巻き込まないで、個人として話し合おうよ」
 問題を解決するなら、まずは組織から離れることだ。逆に長引かせたいのなら、組織を引き合いに出すが。
「個人を引っ張り出せばいくらでもやりようがある人間しか、そういう提案はしない」
 彼方が穿うがった見方で否定的な見解を示すと、志部が勢いづいた。
「あくまでも僕たち放送委員会の問題だからね!」
 もう志部を生かしておく必要もなくなった。志部なんかを使って勇樹の反応を味わう遊びは今後不要だ。
「組織を理由にする人間は、本質的な解決を望んでいない。何故なら改革すべき組織は、個が集まって作っているものだから」
 見逃していたほこりを払う時期なのだ。志部を相手にする時点で、慎重にしなくてはならないが。
「そう思わない? 仮に組織を主題にするとしても、根本は放送委員会じゃないし。原因は俺たちの実家だよね」
 薫が投げたボールを志部は取りこぼすわけにはいかないだろう。
「まさか水無月君からその話を持ちかけてくれるなんてね。カフェ『La vie』」
「そろそろ決着つけないといけないかなって思って。志部印刷さん?」

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