天龍双

仔犬君の野望

 七瀬勇樹は戦慄せんりつした。薫の言うことを信じていなかったわけではないが、放送委員長選挙の裏に先輩二人の実家、カフェLa vieと志部印刷が密接に関わっていたなんて。
「水無月君も人が悪いな。君にその気があるなら、最初からそう言ってくれればよかったのに」
 志部前委員長が眼鏡を怪しく光らせた。
「いや、だって俺たちまだ高校生だよ? 親の家業にそこまで踏み込めないでしょ」
 薫は何の感慨かんがいも抱いていない様子で笑っている。
「ふむ。表立って動くにはいささか時期尚早しょうそうなのはわかるよ。でも僕たちにもいずれ関係ある話だ。僕は実家を継ぐつもりだし。先祖代代だいだい受け継がれた由緒正しい印刷屋を僕の代で終わらせるわけにはいかないよ」
 志部の言葉に、薫がわずかに反応した。
「立派なこころざしだね。志部君みたいな高校生はなかなかいないよ」
 薫の考えが読めない。どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。
「世代交代は何年も先の話だけど、今から将来の話をするのも悪くないよね。俺もどんな形になるかはわからないけど、実家のカフェに関わるつもりだから、今後も近所に店を構える志部君と関係を悪化させようとは思わないよ」
「所属は違うけれど、僕も君のところのカフェには時たま融通ゆうずうを利かせてもらってるから同意見だ」
「そこで提案があるんだ。俺たちの代には本来関係ない遺恨いこんがあるけど、もうそのことをし返すのはやめようよ」
 薫が前に話していた、カフェLa vieが所属する自営業者が集まったクラブへの加入でめた件か。
「水無月君、志部印刷にとってあの事件がどれだけ大きいことかわかって言ってるのかい?」
 志部が大げさな身振りでのけぞった。
「もちろん、俺もある程度は把握してるつもりだよ。でも俺は志部印刷が向かう先にうちのカフェがあると思わないんだよね。だから逆にそういうこだわりって志部君が前に進むのを邪魔しない?」
 勇樹は薫の意図がわからなかったが、彼方は正確に理解したようで、顔をしかめた。
「おい、今更正道に戻そうとしたって、無理があるだろ」
 彼らの間には共通の認識があり、それを勇樹が共有できないのは悲しかった。
「彼方君だって志部君の夢を応援する立場だろう?」
 薫が妖しく笑った。
「俺とお前のやり方は違う。俺は志部印刷のことは知らないが、志部先輩が本音で突き進めたらいいと思ってるだけだ」
「彼方君……」
 何故か感動したように彼方を見る志部。きっと彼方が良いことを言ったのだろう。志部の恰好かっこうのせいで不気味さが先立つが、ぎすぎすしていたこの関係に好ましいことがあったなら、勇樹もほっとする。
 しかしどうして勇樹だけ仲間に入れないのだろう。意図的に阻害そがいされているとは感じないが、この奇妙な友情のようなものに参加できないのは少し寂しい。
「あの、全然状況がわかってないから、とんちんかんなことかもしれませんが、自分らしく生きた方が志部先輩の長所が生きると思いますよ」
 曖昧な物言いしかできなかったが、勇樹なりに思ったことを述べた。志部の情熱は素直にすごいと思う。
「勇樹君……僕は君みたいな一般の支持を得られるように今後も邁進まいしんしていくよ」
 志部の笑顔に彼方は不機嫌そうに薫をにらみ、薫は勇樹を凝視していた。
 一体どういう状況だ。そんな勇樹の疑問に答えるように、彼方が耳打ちしてきた。
「水無月の提案が善意から来るものだと思うなよ。あいつは方向性の違いをじく体良ていよく厄介払いしてるだけだからな」
 薫を睨みながらひそひそ話す彼方の発言が意味不明で、勇樹は混乱してきた。
「え? 俺、何の話かさえわからなくて……」
「勇樹君、あとで俺が説明するよ」
 薫が優しく微笑みかけてきたが、彼方が切り捨てた。
「俺が説明する。お前だとかたよった話し方をするだろうからな」
「俺は誰よりも公平だよ。場合によっては彼方君よりもね」
 薫が自信を見せると、彼方が舌打ちした。
「少しばかりまともな提案をしたからって、調子に乗るなよ」
「そう見えるのならごめんね? 彼方君にはわからないだけかもしれないけど」
 同じ言語を話しているはずなのに、何故こうも意味不明なのだろう。見た限りでは薫が挑発して、彼方が怒りをたたえているような感じだ。
「まあまあ、そのくらいにしようよ。僕の輝かしい未来に話を戻そう」
 梵字ぼんじがびっしりの袈裟けさ? を着て、鹿の角を頭につけ、きてれつなメイクの志部が明るい表情をしていると、たまらなく不安になる。
「あの志部先輩、その恰好何とかなりませんか……?」
 見ているだけで精神的に削られていく気がする。
「ああ、良いところに気づいてくれたね。僕も少し重いと思ってたんだ」
 おもむろに志部は、頭に被っていた角を外して机に置いた。
「僕の父は狩猟しゅりょうを趣味にしていて、これも戦利品なんだよ」
「そ、そうなんですか……」
 勇樹には未知の領域だ。どう反応したらよいのかわからない。
「志部印刷はカフェLa vieと進む方向は違うから、もう世話になることもないと思うけど、僕は君のことを忘れないよ。君にされた仕打ちをね」
 今の恰好の志部が言うと、妙な迫力がある。
「意図的だろうと誤解は解いておきたいけど、仕方ないね。もう志部君と揉めなくて済むようになるなら、ある程度は譲歩しよう――なーんて言うほど、俺はお人好しじゃないよ」
 薫が満面の笑みを浮かべた。
「あはは、志部君ってすっごくわかりやすくて、君の思うようにしか物事を考えないよね」
 無邪気な子供のように薫は志部に突きつけた。
「何か誤解してるみたいだからはっきり言うけど、La vieはあのクラブを抜けないよ? 俺が抜ける代わりに志部印刷がはいれる特例を作るとか想像してるみたいだけど、れるわけないじゃん。だってさあ、普通に考えて伸びしろのない爆弾を抱え込む必要ある? 個人業種の、しかも成功してる集まりに志部印刷が倒れて困る店なんて一つもないんだよ? お得意のおどしがまかり通るほど俺たちは守るすべを知らないわけじゃないし、実行に移す資金力なんて、ピンはねし過ぎてもうないでしょ? バックにいるちょっと非常識な団体も資金不足でどんどん力を失ってる中、どのくらい志部印刷のために動いてくれるかなー?」
 志部が固まった。勇樹も同様だ。彼方だけが泰然たいぜんとしている。
「もしもお金に人格があるなら、お金は嘘つきが大好きで、間接的な嘘つきを愛してるんだと俺は思うよ。俺って嘘が嫌いなんだよね。だって嘘って時として俺のく手をはばむからさー。だからこそ俺は嘘つきに詳しいんだけど。志部君、自分に嘘をついてる嘘つきって、嘘つきの中で一番力を持てないんだよ」
 何を言わんとしているのか完全に理解はできないが、その有無を言わせぬ迫力に勇樹はぽかんとするしかなかった。
「志部印刷の未来は二つに一つ。どん底を経験して、今度こそ自分の足で立とうとするか、完全に悪にひざまずくか。前者は辛いし、無理かもね。でも後者はおすすめしないよ。もっと苦しむことになるだろうから。今も怪しいけど、完全に堅気かたぎには戻れなくなるよ? ああ、でもお得意の逃げ足の早さで、ご主人様が破滅はめつに向かう手助けをしてくれるかな?」
 薫は一言一言を刻み込むように、志部に語りかける。勇樹は一瞬この場には薫しかいないような錯覚を覚えた。そのくらいその言葉は強烈に響いたのだ。
 微動びどうだにしない志部に、薫は笑顔を絶やさない。
「驚いちゃった? ごめんね? 俺って情がないんだよ。でも中途半端に情をかける方が本質的には残酷だし、今まで俺は何て君のためにならないことをしてきたんだろうって反省してる。だからもう一切志部一族とは関わりを持たない。そうすることで君はやっと自分を見つめ直せる。おめでとう。素晴らしい成長だ。俺とは関わりのない場所でどうぞ御自由に!」
 言っていることはものすごく失礼なこと(なのだろうか? 勇樹は感覚が麻痺まひしてきた)のはずなのに、妙な爽快感がある。
「彼方君もこれでやりやすくなったよね? もう昼休みや放課後に話し合うことはなくなった。これにて解散!」
 やりきった感じの笑顔で、薫は勇樹を椅子から立ち上がらせると、その場から連れ出した。余裕があるように見えていた彼方も驚いているようで、それを止めなかった。
 こちらをのぞいていた生徒たちも誰一人として反応できないらしく、薫は悠悠ゆうゆうと彼らの前を通り過ぎた。しっかり勇樹の手を握りながら。
「えっ!?」
 薫にうながされるまま着いた場所は何と保健室で、先生不在で閉まっていたのに、何故か中に入れて……勇樹は驚きから抜け出せないまま、ベッドに寝かせられ、呆然と薫の顔を眺めていた。つまり押し倒されている。
「えっ!? 何で鍵かかってるのに入れたんですか!?」
「え? そこ気になる?」
 不思議そうな顔で、薫は勇樹のまぶたに唇を落とした。
「き、気になります!」
「しばらく養護教諭は出張で、保健委員が鍵を預かって管理してるんだ。放課後や昼休みは当番で常駐じょうちゅうしなくちゃいけない。先生不在で鍵の空いてる保健室って、まり場になりやすいからね」
「ああ、なるほど――って、薫さん保健委員でしたっけ!?」
 勇樹は納得しそうになったが、薫は同じ放送委員会だ。委員会の掛け持ちはできないはずだ。
「あはは、俺は放送委員一筋だよ? 腹痛で早退した保健委員の代わりを引き受けただけで。うん、一度こういうシチュエーションを体験したかったから、ちょっと強引に預かっちゃったけど」
 薫は少し照れ臭そうに言い、熱のこもった眼差しを勇樹に向けてきた。
「勇樹君、愛してるよ」
 甘い声音に勇樹はぼんやりしてしまいそうになったが、場所を思い出してはっとした。
「ここ、学校で……いや、そもそも何でこうなったんですか!?」
「何でって、君があまりにも無防備でかわいらしいから、俺も我慢できなくて」
 薫が勇樹の耳元に唇を寄せ、ささやいた。
「うう、そんなふうに言われても意味が……!」
「大丈夫、あとは彼方君が何とかしてくれるよ」
 薫の言葉で、勇樹はこのままどこまでも翻弄ほんろうされてしまいそうな自身を持ち直した。
「せ、説明してください! 俺もきちんと薫さんと向き合いたいんです」
 薫と彼方は仲が悪いようでいて、どこかお互いに信頼を置いているようにも感じる。勇樹も彼らの隣に立ちたいのだ。
 薫の恋人として、彼方の親友として。
「んー、勇樹君以外の話をするのって楽しくないんだよなあ。でも君が望むなら少しは意義を感じられるか……」
 薫は気乗りしない様子で口を開いた。

「あ、あの待ってください……! な、何でこんなことに……!」
 勇樹は今靴下しかいていない状態で、保健室のシーツにくるまっていた。
「え? 勇樹君の要望を叶えるために、やる気を出す工夫かな。一つ話すごとに勇樹君を一枚脱がせるとかじゃないと、志部君の話なんてする気がしないからね。だってそんなことをするくらいなら、勇樹君とこれからのことを話した方が、よほど有意義ゆういぎじゃないか」
 薫は平然としている。
「ま、待ってください。話を整理しないと頭が追いつかなくて……志部印刷はヤクザの子分みたいなもので、堅気とヤクザの間を行ったり来たりしながら、残飯ざんぱんあさるように見せかけて、人の食卓からメインディッシュをさらおうとして失敗してる組織……志部先輩ってそんな裏社会に頭を突っ込んでるような人なんですか!?」
 この表現で正しいのか自信がないが、薫の話を総合すると志部は一種のたかり屋だ。
「まあ、そういうことになるのかな。志部印刷って全然老舗しにせってわけじゃないんだけど、先祖はヤクザの子分で、結構酷い扱いをされてたというか……そのヤクザの親分っていうのが町民の平和をおびやかすような無法者だったから、それに対抗するために当時の町民たちが団結して、全面的にぶつかり合う前にその子分から崩そうと、まずは弱い部分を取り込もうとしたというか……要は志部君の祖先を堅気にしたんだよね」
 何故か志部印刷の歴史を聞きながら、勇樹はどんどん服を脱がされていったのだ。
「まあ、そもそも志部印刷の始まりが堅気の仕事で生計を立てようってことだったんだけど、最初からつまずいてしまって、何とか周りにり寄りながら融通してもらって今日こんにちまで来たんだよ」
 薫が楽しそうに勇樹の靴下を脱がせた。
「そのシーツの下に、何も着てない勇樹君がいると思うと、ドキドキするね」
「ううう、恥ずかしいです……。あの、次は脱がせるんじゃなくて着せてもらうのはだめですか? 誰か来たらと思うと……!」
「確かに俺だけ服着てるのも、不公平だよね。俺のことも脱がせる? あー、でもそれをここでやっちゃうと、誰か来た時にすぐに対応できなくて困るよね。俺も脱ぐのは、今度家に誰もいない時にしよう」
 ここで勇樹はやっと薫の様子がおかしいことに気づいた。いつもならもっと余裕があって、勇樹のことをからかうように甘やかすのに、今は少しぎこちない。
「あの、薫さん。こんな恰好の俺が言うのも微妙ですけど、落ち着いてください」
 ヤクザ関係者の志部に随分ずいぶんすごいことを言っていたから、動揺しているのかもしれない。
「……勇樹君、俺のこと嫌わないでくれる?」
「もちろんです。俺、薫さんのこと守れるようにがんばりますから」
 しがない一般人の勇樹に、裏社会の勢力に対抗できるような力はないが、薫の心の支えになることくらいならば……。
 勇樹は全く動じていない己の気持ちに、どれほど薫が好きかを思い知った。仮に薫が危ない境遇に身を置くことになったとしても、全身全霊で守りたい。
 そのためには勇樹も強くならなくてはならない。日課の瞑想めいそうに何らかの武術も加えた方がよいかもしれない。
「ん? 俺を守る? 俺が勇樹君を守るんじゃなくて?」
「え? 志部先輩が今後刺客しかくを送ってくる可能性があるんじゃないですか?」
 もしかしてまた勇樹は勘違いしているのだろうか。
「あはは、一応志部君は半分堅気だから、そんなことはできないよ。彼自身がやけにならないように、彼方君がとどめを刺してくれるだろうし、俺も逆上させるような隙は与えないからね」
「えっ、どういう意味ですか?」
「何か話が噛み合ってないみたいだね」
 薫が苦笑して、髪をき上げた。
「どこから説明しようかなあ、俺は別に志部君を脅威きょういには思ってないんだよね。彼は高校生でそんな力ないし、利益がからまなければ、何度も裏切ってる役に立たない下っぱのために動くほどヤクザだって義理がたくないよ? 一応形式上は自分の子分から独立した堅気だし。あと生まれた時から一応堅気に分類される志部君は、そこまで身をとさないでしょ。あのヤクザの使いっぱしりなんて、命がいくつあっても足りないだろうから」
 まるでその親分(?)を知っているかのような口ぶりだ。
「もしかして面識があるんですか?」
「まさか。うちのカフェはそういうところクリーンだよ。まあ、志部君経由で迷惑かけられたことはあるし、うちのクラブ全体でマークしてるからそれなりに情報はあるけどね」
 薫は全く恐れた様子がない。
「俺はね、知らないことが一番恐怖をあおるんだと思うよ。ああいったやからは未知の部分を大きく見せて、脅す手段にもけてるけど、本当の姿をきちんと把握していれば、それに見合った対策を立てられる」
「なるほど……」
 薫が頼もしいのはそういう部分をしっかりしているからなのか。そんな彼を勇樹は尊敬した。
「でも俺も言うほど徹底できてないよ。勇樹君のこと知らなくて二の足を踏んでしまったり、必要以上にやきもちを焼いてしまったり……今日だって確認してないからわからないこともあるし」
 薫がにっこり笑った。
「今度は着せてほしいって言ってたよね? その恰好で風邪引くといけないから、俺の上着を貸してあげる」
 何故か薫は自身のブレザーを脱いで勇樹に着せてきた。
「あの、裸にブレザーって……サイズも合ってないですし」
 身長が違うので仕方ないが、大きくて落ち着かないし、まるで変態のようだ。
「かわいいよ。じゃあ次はこっちにも着せてあげようか」
 薫はシーツで隠していた勇樹の大事な部分にも手を伸ばしてきた。
「えっ!?」
「まずは勇樹君に元気になってもらわないとね」
 薫のたくみなり上げに、すぐに勇樹は反応してしまったが、今回は途中で手を止めてもらえた。
「持ってきておいてよかった」
 薫がポケットから取り出したのは……。
「それ何ですか?」
 薄っすら輪が浮かぶ包み紙だ。
「あ、知らない?」
 薫が嬉しそうに包みを破り、取り出したものをあれよあれよという間に勇樹自身に装着されてしまった。
「え、これって避妊のための……」
 言葉にするのを躊躇ためらっていると、薫が微笑んだ。
「つけるの初めてでしょ? 俺、君の色んな姿が見たいんだ。直接さわれないのはちょっと不満だけど、君の反応が知りたいと思って」
 薄いゴムの上から薫に触られると、勇樹はいつもと違う感覚にぞわりとした。
「あ、あの、俺……んっ」
「やっぱり勇樹君は敏感だね。薄いのでもあるとないとで反応が違うなあ。俺の手が直接触れた方が君のここは喜ぶみたいだよ?」
 勇樹は羞恥しゅうちで頭が真っ白になりそうになったが、保健室前の廊下を急いで通り過ぎる足音に慌てて口をふさいだ。
「もう昼休みも終わるね。俺のところは次世界史だからさぼっても問題ないかな。あの先生って基本出席取らないし、成績はテストの点が全てだから」
 日常が遠い。五時限目、勇樹のところは化学で自習だから、朝配られた課題プリントさえやっておけば……彼方には何て言おう。
 こんなふうに乱れている自分を知られたら、彼方に軽蔑けいべつされてしまうかもしれない。
「元気なままだけど、少しだけ反応が鈍ったかな。ねえ、勇樹君は彼方君に性欲がないって思ってるんだよね」
 いきなり核心を突かれるようなことを言われて、勇樹は思わず口から手を離した。薫は何を言おうとしているのだろう。
「修行僧みたいにストイックで潔癖けっぺき気味な勇樹君の親友。まあ、俺も彼方君はものすごく禁欲的で人間じゃないって思うけど。男子高校生があれだけ我慢して、よく生きてられるよねえ」
 ゆるゆるとした刺激が、勇樹に前進も後退も許さない。
「勇樹君は彼方君のことが心配で、友達として傍にいてあげたいんだなっていうのが今日よくわかって、俺は君の清らかな気持ちに感動したよ。何てとうとい友情だろう」
 薫は勇樹の耳をやわんだ。
「だから自分を解放するのを躊躇ためらってる勇樹君の鎖を俺に解かせて? 大丈夫、君は彼方君を置いていってしまうなんて心配しなくていいんだよ。彼は彼なりに進んでるし、誰かが隣で支えなければならないほどもろくない。というか下手すると俺より頑強じゃない? あの精神力」
 薫の手が急に早まった。
「勇樹君は恋人として俺に寄り添おうとしてくれてるんだね。ありがとう。俺は俺の愛で勇樹君を一杯にしたいってことばかりで、君の愛を受け取る準備ができてなかったみたいだ」
 薫が熱い息を吐いた。熱に浮かされたようなその眼差しが、勇樹の身体を熱くする。
「俺が勇樹君のことを知りたいように、君も俺を知りたいと思ってくれてるなんて考えもしなくて。ほら、だって俺って隅隅すみずみまで勇樹君を味わい尽くしたいとか結構変態的なこと考えてるし、俺のこと知っても俺は全然楽しくないからね。君の時間は俺の手で全部楽しいものにしたい」
「あっ、俺も、薫さんを――っ」
 限界を迎えた勇樹の欲を手早く処理して、薫は壮絶そうぜつな色気をにじませた笑みで迫ってきた。
「ねえ、キスマークつけていい?」
「え、う、ど、どうぞ……あ、体育の着替えで見えない場所に……」
 言うや否や、薫は勇樹の太ももの付け根に顔を寄せた。
「ひゃっ、くすぐったいです……」
「俺は君に俺の印をつけるの楽しいけど、君は俺のって主張されてどう思う?」
 薫は意地悪で聞いているのではなく、単純にこちらの気持ちを気にしてくれているので、勇樹もまじめに答えなくてはならない。
「ううう、薫さんが楽しいことは俺も楽しいですけど……」
「けど?」
「もっときちんと薫さんのこと教えてくださいね……!」
 勇樹が思っていたよりもずっと薫はタフで、勇樹の予想しない部分でさらりと重大なことを決めていそうなので、少しだけ心配になる。
 薫は勇樹の意思を確認してくれてはいるが、事後報告気味なことも多い。
 勇樹の恋人は、どこまで勇樹を幸せにしようとしているのだろう。勇樹を幸せにしたいと思ってくれているのなら、薫自身を幸せにすることも一緒に考えてほしい。
 勇樹は薫のことをもっと理解したい。そうすれば今よりも彼を大切にできると思うから。
 薫はとても強いのだと、勇樹は最近わかってきた。わかっていたつもりだったが、彼の言うように、彼方も並外れて強靭きょうじんだ。
 だが強いからこそ、自身の心の守るべき部分をおざなりにしているのではないかと考えるだけで、勇樹はいてもたってもいられなくなる。
 確かに今は勇樹が守られることの方が多いだろう。しかし勇樹だって彼らを大切にしたいのだ。努力次第で、彼らが気にしない部分を保護できるようになれるかもしれない。
 恋人と親友を守れる男になろうと、勇樹は密かに決意したのだった。

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