1-03.お願い仔犬君
想いを告げられなかった相手に愛を告白し、好きになってもらうためにがんばる。
幸いにも向こうは好感を抱いてくれているし、性別だけで拒絶するつもりはなさそうなので、自らの持つものを最大限生かして積極的に迫っていこう。
水無月薫は、頭が真っ白になっている後輩を前に、静かに計画を練った。
「仔犬君、驚かせちゃった?」
あえて軽い感じで声をかけるも、勇樹は微動だにしなかった。余程衝撃的だったのだろう。彼は予想以上に鈍かったので、はっきりと伝えるしかなかったのだ。そう悠長に構えてもいられない。
薫が踏み出せなかった間に、勘違いとはいえ勇樹に彼女ができてしまったこともあるので、ぼやぼやしてはいられないのだ。
「あ、あの、水無月先輩はなんで俺を……?」
動揺して視線が定まらない勇樹に、薫は刻み込むように言葉を重ねた。
「放送委員で知り合って、最初は元気でかわいいなって思うくらいだったんだけど、勇樹君が自然に生き生きしてるのを見るうちに、どうしようもなく好きになってたんだ」
「し、自然に生き生き……?」
「そう。勇樹君は自然にみんなで楽しい方向に行こうとするよね。無理に盛り上げようとするんじゃなくて、勇樹君自身が楽しんで、みんなも一緒になったらもっと面白いって、心地良い気配りもできて……俺にはそんな勇樹君が眩しくて愛しいんだ」
素直な気持ちを口にすると、勇樹は顔を真っ赤にした。
「う、うう……あうう……」
「ま、理由なんかは後づけ――というよりも、どうしようもなく心が惹かれて、どうしてか考えてみたり、勇樹君を知るうちにますます良いところが見えてきたりして、もっと好きになったんだ」
重い想いの中にある、純粋な愛情を前面に出して微笑みかければ、勇樹は一層赤面して口をぱくぱくさせた。
「かわいいね。照れてる勇樹君は、誰よりもキュートだよ」
勇樹をがんじがらめに縛りたがる心内を決して表には出さずに、薫は愛を囁いた。
「俺、怖くてなかなか想いを告げられなかったんだ。男ってだけで仔犬君に拒絶されたらって思ってね……」
仮に勇樹が拒否反応を起こしそうだったら、もっと搦手から攻めていた。諦めるなんて選択肢は薫の中には存在しない。
どうやったら振り向いてもらえるか、どうすれば勇樹にとって好ましい男になれるのか、ありとあらゆる手段を用いて最善を掴み取る。
どんなに悩んだって結局は勇樹のことが好きなのだから、この恋を実らせるために最大限努力する。想いが通じた後のことは一緒に考えていく――薫の踏み出す足に纏わりついていた影は、勇樹の反応で幾分か大人しくなった。
「あう、その、水無月先輩は本当に俺の憧れで、かっこよくて、そんな拒絶とか無理です……俺、真剣に考えますから」
勇樹が薫と向き合おうとしてくれるだけで、救われた気になる。最初から弾かれることはないのだと、押し進めていけば必ず辿り着く難題の扉の前で、薫は小さく息を吐いた。
「ありがとう。俺も本気で口説かせてもらうよ」
「あの、その、お手柔らかにお願いします……」
断られてもおかしくないのに、受け入れようとする勇樹に、薫はせり上がってくる邪な欲望を喉元で留めた。
今すぐ勇樹を組み敷いてしまいたい。これも愛情の一種だが、抑圧された劣情の狂暴な衝動が、彼を傷つけるようなことがあってはならない。何も知らない無垢な勇樹を怯えさせないように進めなくては。
「当然だけど、放送委員長の件は、俺も私情を交えずに協力するから」
薫も高校生なので、そこまで割り切ることはできないが、勇樹を推すのは本当に相応しいと思うからだ。彼方がしようとしていることを阻止しようという思わくも、勇樹への思いやりもそこには当然含むけれど。
勇樹にはわざわざ伝えなかったが、薫が放送委員長にならなかったのも、彼方がリーダーに向かないのも、共通する理由がある。方向性は大分違うものの、根本は同じだろう。
彼方なんてその傾向が顕著だ。彼は勇樹以外に興味がなく、他者に対して無慈悲だ。まるで幼児のように、自分の気に入ったものにしか関心を示さず、どうでもいいものには冷酷な彼は、あまりにも正直過ぎる。もう少し礼儀を弁えるべきだろう――薫のように。きっと彼方はそんな必要性すら感じないくらいめちゃくちゃにする気なのだろうが。
喩え億劫でも、人当たりを良くするに越したことはない。相手に一欠片も温情を向けないのは、巡り巡って自らの不利益に繋がりかねないという認識が足りない――などと説教にもならないこの考え方は、あくまでも建前に過ぎない。薫は単純に勇樹とつき合える可能性を高めるために、周りに親切にしているだけだ。
勇樹と出逢う前の薫は、人として最低限の優しさを表面上は持ち合わせていたが、今ほど積極的ではなかった。ただでさえ想い人の恋愛対象からは外れるであろうハンデ――男が男の心を射止めようとする性別の壁があるのだから、少しでも有利になるよう努めているのだ。
多くの者に求められる人間であれば、嫌悪を抱かれる可能性は低くなる。薫の動機は勇樹に結びつくものばかりで、そうとは悟らせないだけで、他人に無関心で冷たい。
勇樹と結ばれれば、彼のために他者に目を向けることもあるかもしれないが、それだって要するに彼の愛を得たいからで……自覚はしているが、薫はとんだ仔犬好きだ。そして生粋の損得勘定主義者だ。しかし一般的な損得勘定とは異なり、得と思えることが極端に少ないため、損避け主義と言う方が正確かもしれない。
一途と言えば聞こえはよいものの、この想いは一歩間違えれば、他人を破滅に追いやってでも想い人を手に入れようとする非道の愛だ。
勇樹を欲する者は、薫より劣っていてはならない。浅ましい無能な人間が、生半可な想いで勇樹に手を伸ばそうとしたら、仮に情のみで彼を捕らえるようなことがあれば、手段を選ばずに相手を排除する。
どんな人間にも弱みはあるはずで、薫はそういうところから敵を切り崩して、必ず勇樹の隣に立つ。
薫よりも優れた人間が勇樹を求めたなら、冷静に見極め、どれほど悔しくてもその相手を上回るまでは我慢して、より好ましい男になってから奪いにいく。
我ながらぞっとするほど根深くて切実な想いだ。
「水無月先輩は大人ですよね……」
勇樹の目には薫が余裕のある男に映っているのだろう。震えそうになる身体を意志の力で制し、本気で彼を陥落させるために集中している甲斐があった。本気であればあるほど、薫はそれを気取らせないように振る舞う。
「ねえ、勇樹君。俺のこと苗字じゃなくて名前で呼んでくれない?」
「えっ、あう、その……薫先輩?」
普段なら躊躇うことはないだろうに、こちらを意識している勇樹が愛おしかった。
「呼び捨てで構わないよ。薫さんっていうのも捨て難いけど」
「そっ、それはさすがに……! 先輩ですし!」
「うん。学校では先輩をつけていいから、二人の時は薫って呼んで」
「う……薫さんじゃだめですか?」
いずれは敬語もやめてほしいが、今はまだそこまで要求しない。
「仔犬君がかわいいからいいよ」
戸惑いつつも従おうとする勇樹に情欲をかき立てられるが、薫はそれをやんわりと覆い隠した。己の中の愛しくて甘やかな気持ちだけを、彼のかわいらしいあだ名に込めて。
「う……ところで放送委員長のことですが、薫さんが俺を推薦することは委員長には既に言ってあるんですか?」
「勇樹君に返事をもらってから言おうと思ってたからまだだけど、そこら辺は大丈夫だよ。反対はしないと思うし、どちらが当選するにせよ、放送委員会が盛り上がるって委員長は喜ぶんじゃないかな」
注目が集まれば集まるほど、委員長は張り切るに違いない。
「それならいいんですけど……彼方のやつは俺が立候補するって言ったら、あっさりやめるとか言い出しそうで心配です」
勇樹の口から彼方の名前が出るだけで薫は苛立った。気持ちを伝えても忌避されなかったからか、神経が昂って、いつもより余裕がない。噴出しそうな欲に囚われないよう、薫は努めて平静を保った。
「確かに彼方君はあまのじゃくなところがあるからなー。俺が勇樹君をバックアップするって知ったら、臍を曲げる可能性もあるし……選挙管理委員会に届け出をする期限はまだ先だから、ぎりぎりまで黙ってようか?」
さすがに一度立候補を表明したら、癇癪では取り消せないだろう。
「俺が原因で彼方が降りちゃったら、現委員長に申し訳ないですよね……正々堂々と戦って、より多くの票を集めた人が放送委員長になるって方が俺もすっきりしますし」
勇樹があっさり納得してくれたので、薫は僅かに良心が痛んだ。短い期間でも秘密を共有することで、ライバルを遠ざけられたら儲け物程度の感覚だったのだが。
「奇襲にならないよう委員長の方には話を通しておくよ。委員長の様子で彼方君も勘づくかもしれないけど、その時はその時で」
そこまで徹底して隠すものでもない。あの委員長の情熱を退けるのは彼方でも難しいはずだ。下手に跳ね除けると委員長はサイレンのようにやかましく騒ぐだろう。
「そうですね。俺も黙っておきます。立候補を締め切ったら、選挙活動期間に入りますけど、今のうちに作戦を立てておきますか?」
まじめな議題だからか、いつのまにか緊張が解けている勇樹に、薫は悪戯を仕掛けた。
「そうだね……俺は勇樹君に魅了されてるから、応援演説もすぐに考えられるけど、大事なのは勇樹君の主張をどうやって周知させるかだよね……一発勝負の壇上演説ももちろん大切だけど、事前の根回しにも力を入れたいところだね」
少しだけ色を覗かせると、途端に勇樹はぎこちなくなった。
「あ、う、その……はい。がんばります……」
こういうことに不慣れな様子が、薫を駆り立てる。まっさらであればあるほど、それに薫を刻むのが待ち遠しい。
「そんなかわいい顔をされちゃうと、我慢できなくなりそうだよ」
薫の言葉が耳朶から勇樹を犯し、その心に少しでも跡を残せればいい。
「その円らな瞳も、まろやかな赤い頬も、仔犬みたいに無邪気で元気なところも、全部俺を惹きつけてやまない。勇樹君はまるで俺を惑わすために俺の前に現れたみたいだ」
薫が艶然と笑って見せると、勇樹は目線をさ迷わせて、余計赤くなった。
「こうして二人でいられると、勇樹君を独占できたように錯覚してしまいそうだ。ねえ、次の約束を俺にくれない? そうじゃないと君を帰したくなくなってしまうよ」
熱い眼差しを向けると、勇樹は壊れた操り人形のようにかくかく頷いた。
「あの、俺はいつでも暇ですので……!」
「俺も夏休み以降はバイトを減らしてるんだ。明後日なんかは放課後空いてる? 最近オープンしたカフェの敵情視察につき合ってほしいんだけど」
「え、あ、はい! お供します!」
後輩の顔に戻った勇樹に、薫はにっこりした。
「ありがとう。今から木曜日のデートが楽しみだよ」
その瞳に薫だけを映してほしいなんて、今はまだ言えない。薫は歪な独占欲を悟らせないよう、愛情だけを声音に乗せた。
お願い、俺を選んで――積もり過ぎた想いが、勇樹を傷つけないでいられる内に。
改稿:2018-10-31