天龍双

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2-02.仔犬君は戸惑った

 生まれて初めて自分に向けられた真剣な告白を前に、七瀬ななせ勇樹ゆうきはかつてないほど頭を使っていた。
 水無月みなづきかおる先輩は、女子にもてるすてきなあこがれの先輩で、性別は男――そう、男なのだ。勇樹ゆうきの中で恋愛とは男女間のもので、彼方かなたの昔話には出てきたものの、男と男が結ばれることなど想像したこともない。
 街を歩いていて男女のカップルは見かけても、男同士が一緒いっしょにいて恋人かもしれないなどと……手をつないだり、抱き合ったり、キスをしたりしていたらさすがに気づくが、まず思い浮かべもしない。
 そもそも男同士で一体どうやって……。男女のことは保健体育で習ったし、同級生から借りたエッチな漫画や雑誌で得た知識もあるが、男同士など未知の領域だ。
 元々勇樹はそういうことに興味が薄いが、彼方を除く同年代の男子に比べて圧倒的に遅れている。まだまだ子供だと言ってしまえばそれまでだが、性的なものに接する機会が極端に少ないのも原因だろう。
 三台連続で壊してから、携帯禁止令を出されてしまったし、父親のパソコンも使わせてもらえないので、インターネットの助力も得られない。しかも勇樹が小学校に上がる前に壊して以来、七瀬ななせ家にはテレビがない。かろうじて勇樹の部屋にはブラウン管の古いテレビがあるが、ゲーム専用だ。
 親友の七瀬彼方は男女交際そのものを嫌悪しているので、一緒にいる勇樹も次第しだいにその手の話題から距離を取るようになった。
 親切なクラスメートは、勇樹にもいろいろ貸してくれようとするが、家では母親という名の鬼の検閲けんえつが厳しいので、アダルト系は遠慮して、少年漫画だけを借りている。
 高校生男子にしては随分ずいぶんひかえ目だが、いとこのつとむ君のまいだけはけたかったのだ。
 あれは今から五年前――二つ年上の勉君は、まじめな秀才だがむっつりで、親に隠れて本棚の隠しスペースにアダルトビデオを集めるような中学生だった。
 絶対ばれないとの自信があったようだが、どこから情報がれたのか、母親のあなどれない嗅覚きゅうかくか、勉君が夏休みの自由研究で作った本棚の巧妙こうみょうな仕掛けを見破られ、全て暴かれてしまったのだ。
 あの時は悲惨ひさんだった。勉君の母親は心配性で、息子の性癖に大きな不安をいだいたらしく、離れて暮らす勇樹も詳細を知っているくらい親戚中に相談しまくったのだ。その上、男子学生の実態を聞きまくっていたママ友から話がれて、学校でつとむ君のあだ名は『ハレンチ本棚』になってしまったという。
 思春期の男子は自尊心が強く、傷つきやすいものだ。今までインテリイケメンともてはやされていたのに、一転して女子には白い目で見られ、男子にはからかわれて、勉君はすっかり女を憎むようになってしまった。
『俺は全ての女に復讐ふくしゅうする』
 なぜか電話で宣言された勇樹は、勉君の尋常じんじょうではない様子を心配して、わざわざ県をまたいで会いに行ったのだ。
 あわれなほど勉君は意気いき消沈しょうちんしていたが、異様な光を目に宿し、女への呪詛じゅそを延々と吐き続けるので、勇樹はびっくりした。
『勉君……なんで俺に電話くれたの?』
 当時勇樹は中学に入学したばかりで、勉君は三年生だった。頼ってくれたなら嬉しいが、どうして年下の勇樹を選んだのだろう。
『だってうちの一族で女にもてないのお前だけじゃん』
 この時点で帰ろうと思ったが、やはりおかしな勉君を見捨てるのは忍びない。
『俺はこの決意を誰かに伝えずにはいられなかった』
『おばさんが発信源なんだから、おばさんをうらむならまだわかるけど……』
『母さんはきっかけに過ぎない。俺はこの件で目覚めたんだ』
 からす羽色ばいろの理知的な瞳が、狂気に揺らめく様を、勇樹は呆然ぼうぜんながめていた。
『今まで女子たちは顔も頭も良い俺に好意的だった。去年の夏休みに作った例の本棚の真相を見抜けず、デザインをめてすらいたのに……あの時は興奮したが、興醒きょうざめだ。俺に変態のレッテルりをして、けるようになった女共は、集団で対外用に作り上げた常識をたてに、自らの好奇心にひそむ性的衝動を無視して、その罪悪感をごまかすために俺を疎外そがいし――』
 実に気持ち悪い。願望交じりにまくし立てる勉君に、勇樹はかける言葉がなかった。彼が集めていたAVの題名と概要がいようまで知っている身としては、女子たちの気持ちに同調してしまう。
 偽装ぎそうパッケージ――それすら看破したおばさんはすごい――の中身は、見事に男子学生と家庭教師のお姉さんものばかりで、内容がマニアックな上に、学校生活は妙にリアルで、勉君キモい……と女子たちは引いてしまったらしい。
『マン点を取った僕は、お姉さんのナカにかえる』
 おばさんから送られてきたファックスにずらりとリストアップされた題名の中でも、一際ひときわ目を引いた。綺麗なお姉さんのお腹に胎児たいじとして戻りたい男の願望をえがいたものだとか。
 正直意味不明だ。一ミリも共感できない勇樹はやはりお子様なのだろうか。
『お前も俺くらいの年頃になればわかる』
 勉君には断言されたが、当時の彼の学年を越えて、高校生になってもさっぱりだ。
『俺は俺を拒んだあいつらを絶対に許さない』
 執念深しゅうねんぶかそうな勉君に恨まれる女子たちが気の毒でならなかったので、勇樹は思い直すよう説得を試みたが、焼け石に水だった。
『総理大臣だ。俺は総理大臣になって一夫多妻制を実現する』
 もう手に終えないとあきらめ、勇樹は黙って帰ったが、もやもやしたものが残った。勉君の性への情熱に気圧けおされてしまったのだ。
 この気持ちを整理したいのと、勉君が気懸きがかりだったので、勇樹は四つ年上のいとこ、しのぶ君に電話で相談した。
『あはは、ユーキは優しいねー。ツトムのことなんか放っておけばいいのに』
 天才肌で、見た目もかっこいいお洒落な忍君を、勉君は嫌っている。
『ツトムはねー、単なる女好きで根が変態なんだけど、開き直ってないから面倒臭いんだよなー。自分の性癖を現実の女の子に受け入れてもらえないってねてるだけで、どうせあいつは今回の件がなくてもハーレムを築きたがるよ』
 忍君も勉君にはやや手厳しい。
『女の子に攻撃的な男って大抵欲求不満なんだよね。自分の性欲を、自尊心を満たしてくれない――あるいは満たすさまたげになってる女が憎いって。でもってそういうやつって女全体に負の感情を向けるようになるんだけど、損してるよねー。もっと視野を広げれば、今まで見つけられなかったすてきな花に出逢であえるし、つぼみは育てるものだろう?』
 忍君がもてるのも納得だ。
『それとね、これもきつい言い方だけど、ツトムは自分勝手なお子様なんだよ。求めてばかりで、自分からは与えようとしない。欲ばかりを先行させてないで、本当に人を愛するようになれば、自然とその子のために何かしたいって思うものさ。周囲にあれこれ言う前に、まずは自分を見直さないとね。原因はいつだって自分の中にあるんだから』
『忍君はすごいや……俺も忍君みたいな男になりたいな……』
『ユーキがユーキのまま輝くのが一番さ。君には僕とは違う魅力があるんだから。一つだって同じ花はない。だから僕はいろんな花を育てたいんだ』
 ここで勇樹は少し疑問を覚えたが、忍君の言葉にはげまされたので、深くは考えなかった。
『シノブー! エリちゃんと、マヤちゃんと、ナツメちゃんがあんたに会いに来たわよー』
 おばさんの声が電話しに聞こえて、勇樹は忍君がそわそわするのを感じた。
『今日は彼女たちの服を選ぶ約束をしていてね。待ち合わせより一時間早いけど、待ち切れなかったのかな? かわいい子たちだ。ユーキもまたね』
 嬉々ききとして電話を切った忍君に、勇樹は確信した。いとこ二人ふたりは根本的に似通っていて、お互いに辛辣しんらつなのも、一種の同族嫌悪なのだ。
 この二人の影響は大きく、強烈きょうれつな価値観として勇樹を揺さぶった。それ以来勇樹はいつまでも幼い自分が恥ずかしくなり、大人になりたくて、少しでも好感を持った女子には積極的にアプローチするようになった――が、男としては見られないと振られ続け、今に至る。
 改めて思えば、勇樹の好きは自らの育ち切らない曖昧あいまいな好意を無理に成長させて、目の前の女子に当てめようとしていただけだった。それはとても失礼なことで、勇樹よりも成熟していた彼女たちは、きっと気づいていたのだろう。
 心も身体も全然追いついていないのに、大人になろうと背伸びしても意味ないのだ。本来の勇樹で前に進まなければ、進んだ振りをしているに過ぎない。
 かおる先輩の甘やかでまっすぐな告白は、勇樹を根本からくつがえすような衝撃しょうげきだった。彼は勇樹が今まで目を向けようとしなかった事柄に、真正面からり込んできたのだ。
 おのれの未成熟さを自覚していた勇樹は、今のままでは他者に好かれることなどありえないと思っていた。だから早く成長しようと、大人の男の心理を理解しようと、あせって、先走って、失敗して。
 自分の目線で物事を見ようとしないで、上の方ばかり向いていたから、目の前のことがおろそかになって、余裕がないから、さまざまなことを見落として、他人に迷惑をかけてしまった。
 佐々木ささき友美ともみちゃんの告白だって、冷静でいられたなら七瀬ななせ違い――少なくとも勇樹に向けられたものではないと、すぐに誤解を解くことができただろう。あんなに舞い上がってしまったのは、いつかの未来に思いえがいていた理想の姿――多くの者が望むであろうすてきな恋人像――に、自分の気持ちを置き去りのまま飛びついてしまったからだ。
 男がスマートに女性をリードする。臆病おくびょう友美ともみちゃんを活発な勇樹が引っ張ってあげる――忍君の言う与える愛を真似やすい相手の登場にいきおい込んで、その愛もないまま、体裁ていさいだけ整えようとしていたのだ。
 生来良くも悪くも勇樹は感覚で動くタイプだ――の割に運動神経はあまりよろしくない――が、意図して見ないようにしていたことを振り返り始めたのは、友美ちゃんの件で反省したからだ。
 勇樹は本気で女の子を好きになったことがなかった。スタイルの良い女子を目で追うことはあっても、恐らく一般的な感覚ではない。将来的に女の子とつき合うなら、ああいう感じの子にかれるのだろうか――疑問系の時点で、して知るべし。勇樹は現状夢見る仔犬こいぬ状態で、女体にょたいの神秘に興味がわかないのだ。
 これは勇樹にとって大問題で、男としてのアイデンティティーを揺るがしかねないことだった。学年が上がるほど多くなる性的な話題について行けないのは、己の子供っぽさを強調しているようで嫌だったが、そういうものを彼方が好まないおかげで、勇樹が悪目立ちすることはなかったのが救いだ。
 高校生になってからは、女子のスカートたけが短いとちょっと嬉しいような気がすることに希望を見出している。薫先輩に告白されなければ、男を恋愛対象として考えることはなかったが、多分勇樹はゲイではない。
 はっきりと断定できないのは、勇樹の性欲が薄いため判断しづらく、女も男も好きになったことがないからだ。
『あの子とはつき合える、あいつとはつき合えないとかみんなよく言ってるけど、なにで判断してるんだろうな』
『そんなのせっ……せっぷんできるかどうかだろ』
 中学生の頃、何気なく口にした疑問に彼方がどもりながら答えたのが印象深かった。なぜか彼は怒っていたので、勇樹はそれ以上追求せず、家に帰ってから辞書で意味を調べたところ、接吻せっぷんはキスのことらしい。
 果たして勇樹は、薫先輩とキスできるだろうか。想像するだけで心拍数が上がり、緊張してしまった。
 薫先輩は勇樹の憧れなのだ。そんな人に好意を寄せられたらドキドキして、どうしたらいいのかわからなくなる。
 彼方は勇樹が告白されたことを察知して断るように言ってきたが、どうしても薫先輩を振る自分の姿を思い浮かべられない。しかし正式につき合うとなると、性という大きな問題が浮上してくるわけで。勇樹は自慰じいを全くしないわけではないが、一般的にエッチだと思われるものはしっくりこないので、いつもうまくできずに不完全燃焼で終わってしまう。
 本当に自分は男としてきちんと機能しているのだろうかと結構真剣に悩むこともあるが、恋人もいない現状では特に問題はないとそこまで深刻には考えていなかった。大きくなればまともにできるようになるかもしれないと、まれに朝汚れたパンツをこそこそ洗いながら一応出るには出るのだとほっとしていた。どういう夢を見ていたのかは全く覚えていなかったが。
 淡い好意と性欲が一致いっちするかどうかもわからない勇樹は本当に誰かとつき合えるのだろうか。どちらにせよ、勇樹の情けない事情を説明せねばならず、薫先輩にあきれられるのが怖かった。そして放送委員長の件も同時進行で考えなければならない。
 とっくに容量オーバーだが、更なる課題が勇樹の前に積み上げられた。
「おい、仔犬こいぬ。俺が立候補取り消したら、お前も出馬しないよな?」
 彼方の反乱だ。選挙管理委員会に届け出たのに、今更取り下げるわけにはいかないだろう。
「なんで急にそんなこと言い出すんだよ。彼方がやめても、俺は出るぞ」
 そもそもどうして勇樹の進退にまで口を出されなくてはならないのか。
「二つに一つだ。俺が出る代わりにお前はやめるか、二人とも出ないか。俺はどっちでも構わない」
 勇樹は二の句がげなかった。とんでもない提案だ。
「お前、わがままもいい加減にしろよ。なんで俺のことまで指示されなきゃならないんだ。大体委員長になんて言う気だ? 一旦いったん引き受けたんだから、責任持てよな」
「委員長に悪いと思うなら、お前が降りろ。そうすれば俺は表明を取り消さない」
 むちゃくちゃな言い分だ。
「一体どうしちゃったんだよ。俺だって彼方と対立したいわけじゃないけど、ここはお互い正々堂々と――」
「楽しい選挙ごっこがしたいなら、俺の気分をいちじるしく害するような真似をするな。お前が水無月みなづきと組む限り、俺は選挙に出ない」
「なんでそんなに薫先輩を敵視するんだよ。先輩は放送委員会のことを思って、俺に声をかけてくれたんだぞ」
「はっ、要するに水無月はアンチ現委員長で、俺をこころよく思ってないんだろう」
 彼方は人を食ったような嫌な笑いを浮かべ、ぞっとするほど憎しみのもった目をした。全てを打ち壊すようなすさんだ雰囲気ふんいきに、圧倒あっとうされそうになる。
「彼方が変に委員長をけしかけようとするから……どうせろくでもない、人をおちょくるような演説をする気なんだろ?」
「仔犬君はユーモアをかいさないのか? 俺は現委員長の情熱に敬意を払って、先輩のそうとしたことを引き継ぐ覚悟を語ろうと思ってるだけだ。それの何が悪い?」
 彼方はその気になれば、つけ入るすきのない見事な演説をするだろう。
「彼方は本気じゃないだろ。委員長の特殊な主張を面白がって、それにみんなを巻き込もうとしてるだけだ」
「だから放送委員会を守るって? 水無月の本題はそこじゃないだろ。正義を前面に持ち出せば、私欲が免罪符めんざいふを得られるとでも?」
「何が言いたいんだ?」
「本当に水無月が放送委員会のことを思ってたなら、あいつが委員長になればよかったんだ。でもあいつは今の委員長の説得で退しりぞいた。その方が楽だし、旨味うまみもあると思ったんだろ。それが今更? 放送委員会のために?」
「言ってることが支離しり滅裂めつれつだぞ。彼方は現委員長を支持しながら、本当はかおる先輩がなるべきだったなんて……」
「俺は客観的事実を述べたまでだ。水無月は計算高い嫌な男だってな。あの泥棒どろぼうぎつね
「ど、どろぼうぎつね……? なあ、なんで薫先輩をそんなに嫌うんだ?」
 目を白黒させる勇樹に、彼方は憎々にくにくしげに吐き捨てた。
「あいつは俺からお前をうばおうとしてる」
 勇樹は開いた口がふさがらなかった。
「え……えっ? ちょっと意味が……」
「あいつは俺とお前を仲違なかたがいさせて、自分に都合好つごうよく話を持っていこうとしてるんだ」
勘繰かんぐりすぎだろ……薫先輩が聞いたら、びっくりするだろうな」
「はっ、どうせ『俺、彼方君にそこまで嫌われてるとはなー』って白々しくとぼけるんだろうよ」
 彼方が疑い深過ぎて、勇樹は困り果てた。
「あのな、彼方が薫先輩に不信感を持ってるのはわかったが、それがどうして立候補云々うんぬんつながるんだよ。俺はお前と険悪になるつもりはないし、そもそもお前がまじめにやればいいだけの話だろ」
「その前提自体が水無月に押しつけられたものなんだよ。世の中にはいろんな人間がいて、皆が皆フェアプレーをするわけじゃない。正義の皮をかぶった欺瞞ぎまんや悪意に接する機会がないから、人はいとも簡単にだまされる。学校が社会の縮図だと言うなら、きたない裏側を隠して夢だけ与えようとするな。理想は現実を知るからこそ近づけるんだ」
 彼方の言葉に説得力があり過ぎて、勇樹は悲しくなってしまった。
「確かに彼方の言う通りかもしれないけど、学校っていう小さな世界くらいでは理想を実現させたいよ。そういう経験が心の大事な根っこにたまるから、大きな世界でもがんばろうって思えるんじゃないか? 彼方もひねくれてあえて悪役になろうとするんじゃなくて、一緒にがんばろうぜ!」
「……仔犬のようなんだ目で見やがって……」
 彼方は怒ったようにつぶやいて、若干じゃっかん顔を赤くしながら譲歩じょうほした。
「……男と男の真剣勝負だ。選挙期間中に恋愛にうつつを抜かすような真似は絶対にするなよ。この戦いのことだけを見ろ。他のことに意識をくな。告白してきたやつに、俺とお前の勝負に水を差さないようくぎしておけ。もしそいつが返事を待てなかったり、集中を乱すようなちょっかいを出してきたりするなら、そこまでの人間だったってことで振れ。これらの条件をむなら俺はお前の申し出を受けてやる」
 大分横暴だが、彼方が本気になってくれたようなので、勇樹も燃えてきた。
「わかった! 約束だからな!」
 しかし本当にこれでよかったのだろうか。彼方の個人的感情に押され、勇樹と薫先輩の都合や気持ちは置き去りのまま、流されるように決断してしまった。
 中学からのつき合いで、気の置けない仲の彼方があそこまで拒否反応を示したことに驚き、こちらもつい彼のペースに乗ってしまったが、勇樹に告白して協力してくれている薫先輩のことを考慮こうりょに入れられなかった。
 彼方の一方的な条件づけは、いくら詳細を知らないとはいえ、勇樹と何よりも薫先輩の事情をないがしろにして、自分の欲求だけを押し通したものだ。
 勇樹はこれまで彼方のわがままを苦笑いで済ませていたが、引け目があったからだと今ならわかる。親友ならなあなあにせず、言うべきことはきちんと伝えるのがお互いのためだ。
 優秀で、美形で、スポーツ万能な彼方に劣等感れっとうかんいだいている――ということではなく、勇樹が子供っぽい自分を勝手に恥じていただけで、自ら設定したかべを見上げて、それを越えられない限りは誰にも愛されないと、制限をかけていたのだ。
 薫先輩はそのままの勇樹を見て、好きになってくれた。それがどれほど勇樹の心を温かくしてくれたか。言葉にはならない歓喜かんきしんからき上がり、勇樹に真に現状を見据みすえる力を与えてくれた。恋愛感情も性的な部分も熟していない勇樹だが、薫先輩と真摯しんしに向き合って答えを出したいと強く思ったのだ。
 薫先輩は、勇樹自身の視線が集中していた直すべき箇所かしょではなく、普段意識していないところを認めてくれた。ずっと愛されないことが怖くて、本質的な部分から目をらし、上へ上へと高く掲げた、誰にも否定されなさそうな理想に手を伸ばし続けていた勇樹を、そっとつつみ込んでくれたのだ。
 自分以上に自分を抑圧よくあつするものはない。勇樹は背伸びするのをやめて、薫先輩に包み隠さず話すことを決意した。

発行日:
改稿:2018-10-31