夕闇店舗開店中 x+1-001
いいかい、絶対に誰にも気づかれてはいけないよ。お前はたった一人の――続きはいつも思い出せなかった。染桜蒼の古い記憶は霞みがかったように曖昧で輪郭が朧げで、それなのにふとした瞬間に蘇っては気まずい思いを引き起こす。
一体俺が何だって言うんだ――蒼はどうしても思い出したくて、一度とある団体が主催する催眠療法を受けたことがある。
『おお、あなたはどうやらとあるやんごとなき王族の隠し子らしい。古代エジプトの権力争いによってこの島国まで流されたのだろう』
聞く相手を間違えた。やんごとなき王族の、しかも隠し子って何だ。古代エジプトだ? 前世だの何のってスピリチュアルなこと言ってれば騙されると思ってんじゃねーぞ――蒼はそんな怪しい団体の施術を受ける羽目になった自分に苛立ちながらその結果を鼻で笑ったが、案外馬鹿にできないもので、全然違ったけれども、それなりに似通ったことを言っていたので驚いた。
とうとう蒼は真実に行き着いたのだ。ひょんなことから頭のおかしいサラリーマンと出会って、その時に偶然と思えないほど立て続けにさまざまなことが発覚して、あの記憶は蒼のひいじいさんが死ぬ間際に幼いひ孫に向かって残した遺言だったと知った。
『わしの血を継いでるのはお前だけなんじゃ。絶対にそれを家族に気づかれてはならん……わしがこんな辺境の地に追いやられたのも全てはあやつが……養子の弟が……うう……』
それがひいじいさんの最期の言葉だった。当時四歳だった蒼は偶然に偶然が重なり、ひいじいさんの今際の時に一人だけそばにいたのだ。全く意味がわからなかったが、子供心に重要なことを言われたと思って必死に覚えていたものの、その後のごたごたでいつしか忘れていた。内容を理解していなかったのでそれも仕方ないだろう。意味不明な長い言葉をいつまでも頭に留めておくのは幼子には厳しい。
『親父のやつとうとうくたばったか』
人の死に触れたことよりもその意味深な遺言に気を取られていた蒼は、自分の祖父が帰ってきて早々冷たく吐き捨てたことがショックで、わんわん泣いた覚えがある。ひいじいさんの死よりも周囲の反応に悲しくなってぎゃん泣きしていたら母親にひっぱたかれて、蒼はその横暴さに愛というものの不確かさを感じ取ったのだ。若干四歳にて少し冷めた視点を持つようになったのも、きっかけはひいじいさんの死だった。
ほとんど覚えていないけれど、息を引き取る前の曽祖父にくっついていたので懐いていたのだろう。だから蒼は親しみを込めて今でもひいじいさんと呼ぶ。母と父と兄と祖父と祖母、親戚も皆元気に生きているが、なぜこんなにも家族親族間で交流がないのか疑問に思うほど温かみのない関係を築いている。
ひいじいさんは頭のしっかりした人で、ボケていなかったからこそ憎らしかったと、大晦日の夜にぽつりとこぼした祖父の証言があるので、あの遺言はボケ老人の妄想だと一蹴するのもどうかと思って調べたら、ひいじいさんの息子――蒼の祖父は弟の息子で、どうも蒼自身はひいじいさんのひ孫ではなく息子らしいのだ。
そんな馬鹿な。ひいじいさんは九十九で亡くなって、当時蒼は四歳だったのだから九十五の老人が三十一歳の母を身篭らせたとでも言うのか。こっそりDNA鑑定までしたが、結果は蒼がひいじいさんの息子で、祖父がひいじいさんの義理の弟の息子だった。恐らく祖父――この場合いとこになるのか――の兄弟も既に亡くなってはいるが、ひいじいさんの義弟の子供なのだろう。
残っていたひいじいさんの遺髪やへその緒、爪、歯の状態が悪くてDNA鑑定で何らかの不備があったか、提出した検体が実は蒼の父親のものだったという可能性もなきにしもあらずだが、別口の鑑定の結果蒼と父は血が繋がっていなかったので、これはバレればとんでもない家族会議ものだ。ちなみにきちんと母とは実の親子だったし、父と祖父も親子だった。
「だから私は言ってるでしょう。あなたは遺伝子を掛け合わせて最適な子供を誕生させるために宇宙が時空を超えて本来交わらない二人の交配を促したんです」
「全部の結論を宇宙に放り投げるエセエリートは黙ってろ」
蒼は事務所で例のごとく考えるポーズをしていたが、勝手に会社を辞めて経理として働き出した元大手証券マンの言葉にため息をついた。
この事務所――親戚の持っている物件を格安で借りた急ごしらえのものではあるが――は主にありえないくらい酷い目に遭っている人たちの相談を興味半分で受けるという本来なら大学の非公認サークルだったのだが、いつのまにか商売になっていた。
別に蒼が相談者からお金を巻き上げているわけではない。気づいたらこのエセエリート……黒渕高貴が探偵事務所を立ち上げていたのだ。黒縁眼鏡をかけた黒渕は真顔で宇宙がどうの創造主の意思がどうのとトチ狂ったことを言うような男だが、仕事はやけに手際がいい。お金を動かす仕事をしていたからか、妙に資金調達が上手くて、変なスポンサーまでいるこの事務所の経営は割合安定している。
黒渕は蒼が大学を卒業したのと同時にこの事務所を立ち上げて、蒼を所長に据えた。曰く蒼こそこの世界に真の暗闇をもたらすものだと、本気なのだか冗談なのだかわからない主張を黒渕はしている。どんな闇の魔王だ。そのためこの事務所は、夕闇店舗という名前だけでは探偵事務所とはわからない奇妙な看板を掲げている。
闇を予告する夕闇が由来らしいが、黒渕はドス黒い証券業界の荒波に揉まれて病んでしまったのだろうか。ハードな証券会社は離職率も高いと聞く。黒渕は平気で徹夜して宇宙関係の怪しい調べ物をするような男なので、タフではあるのだが。
「全くあなたも素直じゃない。大学生活後半を全て自身のルーツの謎を解き明かすことに捧げたせいで就活どころじゃなくなったあなたには、この道しかないのですよ。私たちでこの世の中にビックウェーブを起こしましょう! 人類は宇宙からメッセージを受け取って、初めて存在を許されるのです」
「この世を暗黒の渦に落とし込もうとかどんなメッセージだよ。あんた病んでるよ」
黒渕はどこからそういう電波を受信してくるのか、大まじめに世界終末論を語る。
「本来ならば朝は来ないのです。朝昼を過ぎて夕方……そして夜がゴールなのです。永遠に目覚めなくて済む眠りに人類はつくのですよ」
「やめろ。俺を世界終末論者に仕立てあげようとするな」
「終わりを拒むから苦しいのですよ。本来あるべき姿を拒絶するから悲しみは生まれる。蒼くんもいい加減親知らずを抜く運命を大人しく受け入れたらどうですか?」
「世界の終わりと親知らずを同列に並べるな! 誰が抜くか! 俺は四本も親知らずがあるんだぞ! 絶対嫌だ!」
黒渕は基本的に話が通じない。息をするように悲惨な人類の未来を口にしたかと思えば、急に日常をぶっ込んでくるので調子を狂わされる。
「蒼くんが親知らずを抜く決心をしたら、きっと私のことも……」
銀行の頭取のような雰囲気の黒渕は、ふっと端正な面立ちに暗い微笑をたたえた。
「あんた、俺が大学生の時に俺の親に本気で援交を疑われてたこと忘れんなよ」
黒渕とは蒼が大学二年生の終わり頃からのつき合いだが、何かと関わることが多かったので、親にあらぬ疑いを向けられていたのだ。
「私は蒼くんに私を終わらせてほしいだけなのですけどね」
黒渕は三十路を過ぎて結婚どころか恋人の一人もいない上に女に興味がないが、男に興味があるわけでもない。ただ病んでいて、破滅願望が強い。
「俺は人殺しは請け負わないからな」
夕闇店舗は何でも屋のようになっているが、裏社会との繋がりはないまっとうな事務所だ。
「私が望むのはあなたに殺されることではなく、私の全てを解き明かして引導を渡してもらうことですよ。あなたとなら私は終わることができる」
「十一も年下の男と心中希望とかあんた悪趣味だよ」
蒼は顔をしかめた。
「何とでも言ってください。私はあなたと出逢ったあの時から、その瞬間だけが待ち遠しい。その類稀な消す力を遺憾なく発揮して、どうか私と一緒に終わりを迎えましょうね」
黒渕はよく蒼には消す力があると言うが、単なる推理力をそのように表現するのはいかがなものか。物事には必ず解がある。正体を暴かれた――正確にはそれが成り立っているものの芯を撃ち抜く行為だと蒼は思っているが――物事や人は崩れ落ちるように陥落する。そこにある思いも誤解もしがらみも丁寧に衣を剥がしていけば剥き出しの何かがあって、それさえ消し去れば何も残らない。その何かは場合にもよるが、大抵は愛に飢えた亡者のようなものだと蒼は思っている。
こんなことを口にすると人格を疑われそうなので極力言わないようにしているが、愛は与えられるものでも与えるものでもなく、副作用のない麻酔薬に近い代物なのではないだろうか。
苦しみを愛が和らげてくれる。悲しみを愛が慰めてくれる。だからみんな愛を求め、愛を乞う。優秀な麻酔薬がなくては生きていくのが辛い世の中とは一体何なのか解き明かしたいと思い、蒼は探偵の真似事のようなことをしているのだ。
世界を解明するには、この人間社会の中でとんでもない目に遭っている人を観察するのがてっとり早い。ある程度安定した土地――少なくとも明日の命すら危うい場所ではない――で、大多数が平穏に暮らせる国にて道を踏み外す者ほどわかりやすく特徴が出ているものだ。
道を踏み外すと言っても、後処理の面倒な犯罪方面は取り扱わない。蒼が関わりたいのは、犯罪に手を染めるという一線を踏み越えられてしまう者ではなく、決められた枠組みの中でもがき苦しむ人間だ。罪を犯してしまう人は基本的に意識せずともこの社会を維持しようという意思がなく、大きな輪っかから外れた存在なので、例外はあるだろうが深淵に通じていないことが多いのだ。
この広大な世界で大きなものを作ろうとしないで、目先のことだけを見て自暴自棄になって壊し始める者は、言い方は悪いが三下だろう。蒼が引きずり出したいのはもっと大物だ。この世界を支配下に置くような大きな意思を持つ人間。そこまで行くと、その人物はもう人ではないかもしれないが。
「蒼くん、全ては宇宙に繋がるのですよ」
とは言っても、蒼は黒渕の宇宙論で終わらせる気はない。
「そりゃ宇宙があって地球があって国があって俺らがいるんだからそれを否定はできないけど、漠然としすぎてるだろ。あんたも何もかも宇宙で終わらせないでもうちょっと考えたらどうだ?」
「考えてますよ。私たちは宇宙にとっては塵のような存在でしょう」
ネガティブなことを言っているくせに、黒渕には悲愴感がない。
「事務所を立ち上げてもう二年になるのに、俺は毎日こういう話を聞かされていい加減うんざりしてるからな。ところで蜜未のやつはどこ行ってんだよ」
もう一人のメンバーがいれば黒渕も少しは違う話をするのだが、生憎今日は朝から姿を見ていない。一応この事務所の来客対応と雑務を担当している者がいるのだが、蒼の知らないうちにどこかで客を見つけてくるので、割と留守にしがちなのだ。
「おっと、噂をすれば影ですよ」
黒渕がドアに目を向けると、メイドが入ってきた。丈の長いメイド服に身を包んだ羽根田蜜未――メイド服をこの事務所の制服だと勘違いしているのではないかと疑いたくなるくらい出勤時は大体この格好だ。爽やかでいてかわいらしい顔立ちをしている蜜未は、蒼の大学の後輩なのだが、どことなく中性的な雰囲気で、男なのか女なのかぱっと見は見分けがつかない。
よくよく見ると女にしては背が高いし、声もやや低いのだが、男にしては細身で顔立ちが女っぽいので、どっちだと大学でも話題になっていた。蒼は男だろうと見ているが、あまり自信はない。長身でハスキーボイスの女だと言えなくもないし、下手するとどちらかの性別に寄るために何らかの処方を受けている可能性もあるので、面倒ごとには首を突っ込みたくないと確認していない。蒼は性別云々に偏見はないけれど、それに付随する周囲の厄介ごとはごめんこうむりたい。
「ただいま戻りました、ご主人様!」
男だろうが女だろうが、蜜未が蒼の精神を削る同僚なのは変わらない。
「やめろ。急にこの事務所がいかがわしい場所に思えてくるだろ」
蒼の親戚が格安で貸し出すくらいなので、都心からはそこそこ離れていて、東京に行くにはやや時間がかかる立地条件の事務所だが、東京から来る客も結構いる。今回蜜未が連れて来たのは、東京でビルをいくつも所有しているお金持ちの中年だった。よくぞメイド服を着た怪しい者について来ようと思ったものだ。それだけ追い詰められているのか。
なんやかんやで不思議な縁が生まれて夕闇店舗を訪れる客は、ほとんどが蜜未のメイド服にぎょっとして、次に白衣を羽織ってサンダルを履き、ラフな格好で出迎える蒼を見て不安そうな顔をするのだが、今回の客はそういう反応は見せなかった。
スーツ姿で見た目はまともな社会人である黒渕を所長だと誤解する者も多いが、件の中年はまっすぐ視線を蒼に向けた。
「実は私の妻が毎回どうしようもない小競り合いに巻き込まれてしまい……」
範田胡麻男と名乗った男性は、参ったという顔で話し始めたが、蒼は胡麻男という名前が本名なのかに気を取られて、一部聞き漏らしてしまった。
「おっとりとした性格で、優しい妻に異様に敵対心を向けて来る近所の女性たちのせいでたびたび引っ越す羽目になっているのですね?」
蒼をフォローするように黒渕が事実確認をした。
「はい。一度や二度ならまだしも、今回で七回目ともなると、私も参ってしまって……幸い刑事事件にまでは至っていないのですが、異常な悪意を向けられ続ける妻が気の毒で、嫌がらせがエスカレートする前にその場所を離れています。最初の家は人に貸して、次のマンションは売り、今はとうとうホテル暮らしです。資金はあるのに自分の家を持てないというのもおかしな話ですよ。妻はホテルでも女性のスタッフに冷遇されてしまうのです。一度も話したことがないというのに、見ただけで女性に嫌われてしまうようで……」
範田は妻の写真も持ってきて提示したが、特別反感を買うような容姿はしていない。人が好さそうな品の良い女性だ。
「昔からそうだったのですか?」
蒼の問いに範田は首を振った。
「私と結婚する前は特にそういうことはなかったようで、結婚してからも家を建てるまでは揉めても私が仲裁できる程度のものでした」
温厚な妻に変に絡む人はたまにいたようだが、今ほどではなかったという。
「家を買ってからとおっしゃいましたね。その家は貸家としてまだ所有なさっていると?」
黒渕がくいっと眼鏡を上げて訊ねた。
「はい。こういう話を知人にするとお祓いを薦められることもあって、怪しい霊能者はお断りしているのですが、いくつか神社お寺巡りをしたこともあります。しかし妻は神社やお寺に行くと決まって体調を崩すため、最近はどこにも行ってません」
夕闇店舗も充分怪しいが、範田は一体どういう基準で蜜未について行ったのだろう。蒼の疑問が顔に出ていたのか、範田は苦笑した。
「私は別に秋葉原の常連というわけではありません。羽根田さんと出会ったのは偶然で、最初は驚きましたが、外見の奇抜さよりも妻に悪意を向けない女性ということに信頼が置けました」
範田は蜜未を女性だと思ったようだが、果たして本当にそうなのだろうか。
「なるほど……ちなみに男性からの嫌がらせはないんですよね?」
蒼の確認に範田は顔を曇らせた。
「あまり言いたくないのですが、妻は私以外の男性のことを怖がっていて……若い頃にストーカー紛いのことをされて以来極力男性とは関わらないようにしています。そのせいもあってか男性からの被害はないのですが、時たま変なことを言われることはあるようです」
ときどきそういう引き寄せてしまうタイプの人はいるが、話を聞く限り本人に特別非が無さそうなのは珍しい。因果応報と呼ぶにはその因果関係が見えにくいので、蒼を更なる深みへと立ち入らせる助けになる案件かもしれない。
「ご本人に会ってみないことには何とも言えませんが、それだけ女性にきつく当たられて怖がるのは男性だけというのも気になりますね。女性に対しての忌避感はないのですか?」
蒼だったら人間不信になっていそうだが、範田の妻はむしろ女友達を欲しているという。
「妻は女性にいじわるをされても、全ての女性が妻に辛辣な態度を取るとは思っていないようなのですが、男性に対しては私以外恐ろしい怪物に見えると以前言っていました。恥ずかしながら私は妻のそういう姿勢に喜びを感じるたちでして、改善させようとしませんでしたね。それがこういう結果に繋がってしまったのなら、本当に悔しいです。もしかして妻はどこか精神的に病んでいるのでしょうか……?」
「私たちは専門家ではないので、そういう方面の助言はできませんが、ひょっとしたら男性に対する奥様の姿勢が女性の反感を買ってしまうのかもしれませんね。奥様も表立って女友達の旦那様を貶すような真似はしないでしょうが、怯えが態度に出ているのかもしれません」
黒渕がもっともらしい分析をしているが、蒼はこの案件には裏があると思った。当事者である範田の妻に直接会ってみないことには確証を得られないが、蒼が薄々感じ取っていた疑問に答えを得られる現象かもしれない。
「それもあるかもしれないですが、妻に悪意を向ける女性の様子が尋常ではないのです。まるで悪魔に取り憑かれたように強い憎しみをぶつけてくるので、男の私もぞっとしてしまいます」
愛妻家の範田は自分のことのように胸を痛めている様子だ。
「今回の依頼内容は奥様の身に降りかかるそういった特殊な現象の原因を解明して、お二人が一つの土地に留まれるようにすることでよろしいですか?」
黒渕が年長者らしく話をまとめ、必要ならば感情面を蜜未がフォローする。蒼はいくつか質問をする程度で、基本的に考察担当だ。
「はい。仮に定住できたとしても、妻をずっと家に閉じ込めておくわけにはいかないので、もうこういったことが起きないように、候補地の周辺住民の調査なども徹底していただきたい。五回目の引越しの時には妻の近所づき合いをやめさせてみたのですが、人は人と関わらずに生きていくのは案外難しいものです。ちょっと外出した際にご近所の方と顔を合わせてそこから発展してしまいました」
「一度奥様とお会いすることはできませんか? やはり実際に対面して第三者の目で見る必要があります。可能ならば今は人に貸している最初の邸宅も一度視察したいのですが……」
蒼の勘は初めて建てた家に何かあると告げている。動物には縄張りがあるように、実は土地にも固有の性質が出る場所があって、古来より人はそういう地には居を構えない。見た目にはわからなくとも、人間を許していない土地というのは確かに存在するのだ。蒼はそれを人間ではない何かの縄張りだと考えている。
地球を大きな生命体として考えた際に、恐らく踏み荒らされたくない場所というものがあって、そこに踏み入る者に何らかの警告をするが、それで引かないと攻撃してくるのだ。人間で言う白血球のような何かがいると蒼は今まで見てきた中で漠然と感じてきた。黒渕にかかれば全て宇宙のエネルギーで終わらされてしまうだろうが、電気やガスだって宇宙に存在する地球のエネルギーなのだから、分類が大雑把だ。
その土地を守る神様がいるという考え方を昔の人はしてきた。だから家を建てる前には地鎮祭をするのだが、今の時代はそういった配慮をしない建設会社もあるだろう。昔は陰陽師だ何だで異様に祟りを恐れていた時代もある日本だが、恐らくそこには自然への畏怖が根本にあって、それだけ人間も自然に近い存在だったのだ。
昔の人はある程度土地のバランスのようなものを感じて、いじってはいけない部分を本能的に知っていたのだろう。自然から離れてしまっている現代人は、昔は避けていたタブーを犯す。人口が増えているのである程度仕方ない部分はあるだろうが、範田の土地も家を建てるには向いていない場所だったのか、あるいは……。
夕闇店舗が得意としているのは、一見するとオカルトちっくな現象を科学とはまた違う視点で解き明かして解決することだ。見えないものに重きを置く者を蒼は信用しない。見えないものは見ないものであることも多いし、逆に言えばこの世界で生きていて問題となるのは、実際に現れた事象だ。仮に誰かからものすごく恨みを買ってしまい怨念を飛ばされたとしても、現実に何も起こらなければ、そこまで力のある怨念ではないと言える。
「それは構いませんが……妻と私の間には息子がいるので、若い方なら大丈夫でしょう。本当は妻と一緒に来る予定だったのですが、妻は急用ができて途中で別れたのです」
そこからはスムーズに物事が進み、貸家の視察も範田の妻との面会も日を開けずに実現した。