天龍双

はじまり

 不可思議ふかしぎな現象に名前をつけるのは、少しでもそれを確かなものにするためか。
 世の中には、宇宙には、人間にわかることよりも、わからないことの方が多いだろう。
 これはあきらめではなく、焦燥しょうそうにも似た喜びだ。まだまだこれから解明されていくことは数限りなくあるだろうし、人間が人間である限り、到達できない領域りょういきというのは当たり前のように存在する。
 人間の視野ではとらえ切れないものに名前を付けることで、その大きなものの一部でも切り取って認識にんしきしているのかもしれない。
 だからこの気持ちにも名を。武者震いにも似た、好奇心と恐れがないぜになった、未知への挑戦。
 これは創世そうせ神神かみがみへの畏怖いふと敬意を込め、少しばかりの茶目っ気をふくんだハンドルネームだ。宇宙烏――うちゅうからすではなく『そらを』と読む。
 今回は本名を明かさない集まりだ。ネットで知り合ったメンバーと初めての顔合わせだが、個人情報の大切さ云云うんぬんというよりも、単純に会の主旨しゅしが主旨だからだ。
 大いなる一歩を踏み出すために、宇宙烏そらをは陰気くさい空き家へと足を運んだ。自身が主催する形になったのだから、逃げ出すわけにはいかない。
 たとえ踏み入れた先が、異次元の空間に変貌へんぼうげていたとしても。
「……皆さん、よくお集まりくださいました。楽しい百物語の会のリーダー、宇宙烏そらをです」
 意識して平静を保つが、視界のはしに見え隠れする大きな黒い物体が、宇宙烏を動揺させる。
「あー、優夜ゆうや君。その、隣に控えておられるのはどちら様でしょうか……?」
 初のオフ会だが、優夜とは元元もともと親しいので、こんなふうに気をつかう必要は元来ない。彼が明らかに闇の眷属けんぞくおぼしき何かを従えていなければ。
「ああ、気にせず続けて。大丈夫、僕の指示がなければ何もしないから」
 優夜は特殊な力を持っていて、相当変わった趣向の持ち主だ。宇宙烏としては、この異常な空間を作り出した原因に違いない存在が、大人しくしてくれているに越したことはないが、そう簡単には引き下がれない。
「いや、気になるから……」
 まず色味が現実的ではない。黒いと言えば黒いのだが、深い闇をまとった黒色で、何色も交わった末に断末魔だんまつまを上げながら溶けたような色合いなのだ。
 意味がわからないだろうが、そうとしか表現しようがない。異形の角も生えているが、妙に鋭利えいりで、尚且なおかつ一突きでは致命傷を与えずに、じわじわ命を削っていきそうな鈍い輝きを放っている。
「盛り上げ要員その一とでも思ってよ」
 やけに優夜はさわやかだ。こういう時は下手に逆らわない方がいい。
「そうですか……」
 時折優夜の連れが、じっとりとねばり着くような怨念のもった目でにらんできても、盛り上がってきたと思うべきなのか。
 確かにこれほどまでに、この場に相応ふさわしい者もいないかもしれない。逆に相応し過ぎて日常への帰り道が閉ざされてしまいそうだが。
「すっげー、本格的! うわっ、目が動いた!」
 妙にテンションの高い、がっちりした金髪の男が、物見遊山ものみゆさんのようにはしゃいで周囲を見て回っている。ハンドルネーム、筋肉(と書いてマッチョと読む)に相応しい行動だ。
 こういう脳筋のうきんが真っ先に餌食えじきになりそうだ。
「ははは、彼みたいなタイプはデリケートな存在には加害者だからね。しっぺ返しを食らって、無防備で無知な無自覚さを自覚すれば、少しは救いがあるんじゃない?」
 まるで宇宙烏の考えを読んだかのように、優夜は物騒ぶっそうなコメントをした。いつものことと言えばいつものことだが、場の雰囲気ふんいき相俟あいまって恐ろしく感じる。
「デ、デリケート……?」
 優夜に付き従う何か――この際思い切って悪魔と名付けてしまおう――は、筋肉というころもまとった強い男を、紙屑かみくずのようにちぎり捨てることで、人間に圧倒的な恐怖を植え付けそうだが……。
「ははは、流石さすがにこんな序盤じょばんで、あの程度の無礼な男をほふるような真似はさせないさ。宇宙烏は納得しないかもしれないけれど、この子はとてもデリケートだよ。力を持っている上に、加減を知らないから、外部の圧力に倍返ししてしまうくらいにはね」
 散散さんざんな言われようの筋肉は、勢い余って壁に穴を開けてしまったところだった。彼を誘ったのは、恐慌をきたしそうな空気をぶち壊して欲しかったからだが、早速である。もっとも壊して欲しいのは空気であって、壁ではないが。
「いやー、期待通りだなー」
 これ以上優夜に発言させると、本題に入る前にびびってしまいそうだったので、宇宙烏はあえて明るく筋肉に話しかけた。
「ん? 何がだ?」
「これだけがたいが良ければ、仮にこの廃屋はいおくが崩れたとしても大丈夫そうだよね。頼りにしてるよ」
 宇宙烏が下見に来た時は比較的しっかりっとした造りの空き家だったのに、いつの間にかこんなさびれた廃屋になってしまった。優夜が悪魔を召還したせいだろうか。昼間で外は晴天なのに、やけに中は薄暗い。
「お、おう。その、おれに任せとけ!」
 筋肉は照れたように笑って、白い歯を見せた。彼は予想以上にホラークラッシャーだ。一つ誤算だったのは、その迂闊うかつさで真っ先に絶命して、場の温度を一気に氷点下まで押し下げそうなところか。
「えー、主催者でありながら、重役じゅうやく出勤となってしまった非礼をびます」
 宇宙烏は気を取り直して挨拶あいさつに戻った。気が進まなかったからか、足取りも重く、到着が最後になってしまったのだ。
「んー、気にしなくていいよー。いろいろ準備してくれてありがとうねー」
 のんびりとした声が宇宙烏をねぎらった――寝袋の中から。
「あー、礼温れおん君?」
 温泉宿の一人息子、礼温は相当なマイペースだ。空き家に侵入ということで、季節はゴキブリや他の虫の出にくい冬に決行したが、まさかこんな恰好かっこうでスタンバイしているとは思わなかった。
「そう、礼温だよー。呼び捨てでいいよー」
 何とのんきな。このマイペース具合ならば、怪談も階段になりそうだと宇宙烏はほくそ笑んだが、やはり優夜は一筋縄ひとすじなわではいかない。
「彼は怪奇かいきが発生しても寝たままやり過ごすタイプだね。周囲は散散さんざん怖い目にうんだけれど、彼のことは怪異も素通りする。何故ならお互いに引っかかる点が何一つないから。交わらないものは交わらない」
 優夜の断言に宇宙烏は目を見開いた。宇宙烏がうすうす感じていたことを、見事に形にしてしまった。
「な、何でですか……?」
 往生際おうじょうぎわ悪く食い下がる宇宙烏に、優夜は微笑ほほえんだ。誰もが見惚れるようなうるわしい笑顔だが、生憎あいにくここにいるメンバーの琴線きんせんには触れなかったようだ。どこかずれた者ばかりを厳選げんせんした甲斐かいがあった。
 優夜は昔から男女問わずもてるから、極力本題かられるような事態におちいらないように、宇宙烏は色恋沙汰ざたから縁遠い四人に声をかけたのだ。
 見る者をこおりつかせるような、退屈を帯びた冷たい眼差しの優夜は、精巧せいこうな芸術品のような美しさがある。そんな彼が表情をゆるめると、固く閉ざされていた薔薇ばらつぼみが花開くような感動を覚えるが、そのくちびるつむぐ言葉はえげつない。
「底抜けのぼけだからね。彼は何者にも影響されない。鈍感で、何事も気にしないたちだ。悪意を打っても響かない。何故ならそこに負の種がないから。そしてものすごく自分に正直だ。そういう人間につけ入るすきは案外ないものだよ」
「ああ……今日来てくれたのも、三時のおやつで釣ったからだもんな……」
 無添加・無着色の素材にこだわったケーキセットで呼び寄せたので、下手すれば今日の目的すら知らないのではないだろうか。
「それだけじゃないと思うけどね」
 優夜が意味ありげに礼温を一瞥いちべつしたが、当の本人はぬくぬくして気づいていない。
「礼温、始まったら寝たままだと危ないから起きてくれる?」
 蝋燭ろうそくを扱うので流石に危険だ。宇宙烏の注意に、礼温は素直に応じた。
「あいあいさー」
 ごそごそ寝袋を脱いだ礼温だったが、何故か中身も寝袋だった――正確には身体の形に沿った寝袋で、手と足が出て、動き回れるタイプか。
「これ着る毛布って言うんだけど、温かいよー。今日は冷えるからねー」
そなえあればうれいなしか。礼温もよろしくな」
 宇宙烏は、いざという時は礼温の寝袋に逃げ込もうと思った。
「よろしくー。宇宙烏は写真以上にイケメンだねー。ちょーかっこいいー」
「ありがとう。礼温もんだ瞳がかわいいね」
 宇宙烏はよく容姿をめられるが、つき合いが長くなるにつれて段段だんだん手放しでは褒めてもらえなくなるので、純粋な称賛しょうさんは新鮮で嬉しい。
「ほんとー? じゃあつき合っちゃう?」
「温泉はまた今度な」
 礼温はことあるごとに実家の温泉に宇宙烏を招きたがるが、遊びほうけるのは試練を乗り越えてからだ。本当はこんなオフ会もこの忙しい時期に開催するべきではないのだが、息抜きも兼ねてということにしておく。
 集まったメンバーは皆学生で、中学生から大学生までいるが、全員受験や試験を控えているというとんでもない一団だ。
 何を隠そう宇宙烏も高校最後の思い出作り――という名の現実逃避とうひで、このオフ会を企画した。言い出しっぺは優夜だが、いつのまにか宇宙烏が幹事になっていたのだ。
「温泉と言えば卓球! 宇宙烏! おれとダブルス組もうぜ!」
 一人で盛り上がっている薄着の筋肉に生温なまぬるい笑顔を返し、宇宙烏は隅の方でがたがた震えている白いもこもこコートに声をかけた。
牧野まきのひつじ君、大丈夫……?」
 この中で最年少の牧野羊は、そのハンドルネーム通り、雰囲気が羊っぽい臆病おくびょうな男の子だ。
「だ、だだだだだいじょうぶです」
 全く平気そうではないが、これも宇宙烏の作戦通り。牧野羊を理由に、いつでもこの恐ろしい会に待ったをかけられる。ちょっとした保険要員だ。
「そんなに怖いなら無理しないで帰りなよー。今ならまだ間に合うからさ!」
 どことなく含みのある物言いをするのは、この中で最も常識がありそうな黒永こくえいだ。こんなさびれた場所には不釣り合いなお洒落な恰好で、いかにももてそうな感じのイケメンだ。
 ネット上で顔出ししていたのは宇宙烏だけで、優夜以外のメンバーの顔をおがむのは今日が初めてだが、中中なかなか顔面がんめん偏差値の高いグループだ。優夜は別格としても、それぞれタイプは違うものの、美形に分類しても差し支えのない面面めんめんである。
 流石に常識人が宇宙烏だけでは心許こころもとないので、ネット上でも色色いろいろとフォローしてくれた黒永も誘った。恩をあだで返すとはこのことかもしれない。
「一応聞いておくけど、黒永は大丈夫……?」
 常識があるゆえに、この非常事態はこくなのではないだろうか。
「いや、正直悪夢を見てる気分だ。でも宇宙烏のために一肌脱ぐよ」
「ありがとう。何かごめん……」
 よく見ると少し青い顔をしているが、気丈きじょうにも正気と礼節を保っている。
「では始めましょう……。皆さんお手元に蝋燭の準備を……」
 百物語と言えば、一話話し終えるごとに一本ずつ蝋燭の火を吹き消すのが定番だろうが、本日はそれを逆転して、話してから蝋燭に火をともしていく。
 一応宇宙烏が蝋燭と、マッチやライターを準備したが、各自が持ち込んだものを優先して使用して構わないと伝えていたので、各各おのおの用意したようだ。
「では、逆時計回りに俺から……」
 宇宙烏そらをおごそかに口火くちびを切った。

発行日:
▲ Page Top