シャイが残念になるなら僕はそれに抗ってみせる!03
「今の僕は昔よりも少しばかり良心的だけれど、それも君がいればこそ。もう少し正確に言えば、君と出逢えて、君が僕に優しく寄り添ってくれて、しかもすごくかわいくて……」
優哉は普段理路整然と話すが、本音で愛を囁くとなると、途端に拙くなる。いくら力があって、強権を振るっていたとしても、愛情に関してはまだまだ初級認定試験を追試で、しかも及第点に爪先だけ滑り込んだようなレベルなのだ。
「お、俺は今の優哉のがかわいいと思うけど……」
翔が仄かに照れた。
「僕は君にかっこいいと思われたいんだ。でも僕が少しでも背伸びしたり、何らかの不都合を隠して君に近づいたりすると君は命を落としてしまう。それだけ僕の氣は影響が大きいんだ。でも君はそんな僕の真実を求めてくれる」
今の翔は優哉のせいで残念になっていると言ったが、本人に自覚はないだけで、魔王の伴侶に相応しい氣高い美しさを内包している。
「君は僕にたくさんのことを教えてくれた。僕みたいに非常に大きな制御できなかった力が何度君の魂を納める器を壊しても、君の魂には傷一つつかなかった。本当の意味で相手を支配することなんてできないんだ。もし誰かを支配しようとして、それが叶ったとしても、そこに相手の魂はないよ」
いずれ支配の世界が終わる。それはそんなに遠い未来ではない。優哉は夢で耳にたこができるくらい何度も赤い龍に聞かされたが、支配が消えるということは再び戦乱の世が復活するということでもある。互恵・共助の名の下に集う者たちは共同で他を殲滅する戦士となる。本人たちにその自覚はないだろうけれど。
心優しい翔に配慮していた優哉は、昔は赤い龍の言葉に素直に頷くことができず、雑魚がいくら集まっても使い捨ての駒にすらならないと懐疑的な眼差しを向けることでその事実に賛同していないように見せかけていたが、今はそんな面倒くさい演技をする必要もないだろう。
僕がそのトップに立つ最強の戦士だ――優哉は斬り込み隊長で一番強い戦神なのだとでも言った方が今の翔は喜ぶだろう。優哉の武勇伝は数限りなくあるものの、全部殺戮と破壊と拷問が密接に関わってくるので迂闊に話題に出せない。
人は本来使命を与えられて生まれてきている。その使命を自覚できるほど強い魂を持つ者は滅多にいないけれど、その使命に逆らえば逆らうほど生きるのが苦しくなる。苦痛はその者の顔を歪め、のたうち回ることで一層道を逸れてその苦しみは増していく。だから優哉は一つの真理に辿り着いた。
そうだ、動けなくしてしまえばよい。動くことができないほど徹底的に破壊し尽くせば、この世にはびこる醜い苦悶の顔をこれ以上予期せぬ場所で見ずに済む。使命に逆らってばかりのくせに安寧を求めてさまよい続ける醜悪な魂を一箇所に集めて叩き込み、そこから動けないようにしてから手を加えればよい。
優哉の最も得意とする魔術、屍操作――ネクロマンシーと言った方が翔は喜ぶかもしれない――でこの世を阿鼻叫喚の渦に落とし込む。
その一連の流れがこの星で起こる全ての事象の根源にあるものだ。
「俺は優哉みたいにそういう方面のことはわからないけど、今までお前がなかなか本題に入らないというか、全部伝え切ってない感じがした理由がわかったよ。常識では計れないことだから言いづらかったんだろ?」
「いや、それはそうでもなかったかな。だって翔は結構オカルト方面に明るいというか、そっち系にまで迷い込んで、なんやかんや僕の魔力を感じていたから」
「そ、そうですか……」
「僕が躊躇うのは僕自身の恥部を晒して君に僕の全部で触れる時と、君への愛情を素直にそのまま表現する時くらいさ。あとはうん、君がよく読むスピリチュアル系雑誌に書いてあるようなことが起こっているのを伝えると、僕のペースを守れないからね」
優哉はとても氣まずかった。
「俺がよく読むスピリチュアル系雑誌? あの天使とか妖精が出てくるやつか?」
「ははは」
笑ってごまかした優哉は、視界の端で存在を主張してくる大きな置物を見ないふりをした。
翔の部屋にはさまざまなスピリチュアルグッズが混在している。中でも一際目を引くのはベッド脇に鎮座している黒龍の置物だ。
「あ、黒龍って優哉だよな」
嬉しそうな翔が愛らしいが、彼もまさかその置物が話しかけてくるとは思わないだろう。
『お主の抑圧された性欲と、悔恨の念、過去生の過ちに対する懺悔と愛情が複雑に絡み合って、本来ならば関わりのないはずだった儂との縁が生まれた。なぜもっと自分を出さない? その深い愛情を固い殻に覆って隠し持っていては、いつまでもお主にとって引け目となっている経験不足を解消できないであろう』
ちなみにこの経験不足とはいろいろな意味を内包しているが、主に愛する者との交わりを指す。耳に痛いことをどんどん言ってくる龍の置物がある翔の部屋は一体何なのだろう。
『真に己を癒す力は、己の内側より生ずる。私たちはその手助けをするために彼の元に来た。しかし手助けが必要になる原因のほとんどを担っているあなたこそ、彼に最も害を成せる反面、最も彼を癒すことができる。なぜなら彼は自身の深奥まであなたを迎え入れるほど、あなたを愛しているのだから』
何も話すのは生き物の形をしたものばかりではない。翔が無意識に必要だと判断して購入した白くて丸い癒しグッズ(置くだけで場の氣をよくするらしい)にも精霊のようなものが宿っているのか、どんどん語りかけてくる。
この癒白丸を翔は氣に入っているようで、どんどん部屋に増やしているが、優哉もそれに反対はしていない。龍の置物のように耳に痛いことも言うが、翔が優哉を愛していると自覚するきっかけを作ってくれたし、実はこれからの世の中にとても重要なものだからだ。
「もしかしてものの氣持ちとかわかるのか? なんか一時期そういうの流行ったよな」
翔は絶妙なタイミングでこちらの言葉を促してくる。
「あー、まあ……」
とても氣まずい。
『ものに込められた作り手の情報と、それを受け取る持ち手の意向が一致した時に、そのものとの縁が生まれる。お主らの周りにあるものはお主らの鏡じゃ。この部屋は彼のお主への愛に溢れておる』
黒龍の置物の重厚感のある声や、
『ものと人の氣持ちが一致した時に生まれる絆にもさまざまな形があります。最初に作り手から受け取った情報に差はあれども、ものは等しく自らの使命を果たそうという純粋な意志を持っています。ものは使ってもらえて初めて本懐を遂げられるのです。そこに加わった人間の想いが欲望であればそれを慰め、愛情ならば世界が変わります』
前衛的な天使の置物の透き通るような声、
『ではもしも狂氣の末に、人に仇なすように憎しみを込められて生まれたものがあれば、それは作成者と同じ思いを持つのか?』
妙に達観した様子の干支の置物の声が、優哉に語りかけてくる。
『答えは否。悪意は善意と同じ広がり方はできない。なぜならそこに魂がないからじゃ。悪意とは、純粋で美しい魂を納める肉体の苦痛からこぼれ落ちた表層的なものに過ぎない』
黒龍の置物はとても優哉に、そして赤い龍に似ている。彼の置物は、時としてこちらで解説しなければ意味が通じ切らない、誤解を与えるような物言いをする。非常に情報量が多いのに、こちらの世界では表現する方法には限りがあり、更にはわざと難解にするように一つの言葉にたくさんの意味を付加するため、とんだ暗号製造機になっている。もう少しわかりやすく言うなら、不親切でいじわるで、ものすごく暗殺技術に長けているということだ。相手にはわからないように殺すから、意味不明な印象を受けると言えよう。
翔の部屋で起こっていることを詳しく解説したら彼を泣かせてしまいそうだ。アイテムの起源――スピリチュアルなそれは大抵人外の領域に繋がっている――の代理戦争とでも言うべきか。暗号化した会話だけ聞いていると黒龍の置物は周囲と協調して優哉を諭しているが、その暗号を解読すると、天使と干支の置物を鉈で滅多打ちにするような情報を発信しているだけだ。癒白丸に至っては完全に優哉の魔王性を後押ししており、あえて翻訳するなら『早く黒の破滅魔法を発動させよ!』とせっついているようなものだ。
暗殺は成功すると平穏を齎す。殺された側が騒がずに自然と消滅するからだ。現に以前よりも天使と干支の置物の口数が減っている。その二つが繋がる領域は悪意の塊のような呪いを放っていたので、少し部屋の雰囲氣が良くなった。
これをそのまま説明すると翔はショックを受けるだろうから、もう少し彼の心の準備が整ってから教えようと、暗号を展開せずにそのまま伝えることもあるが、基本的に優哉は黙秘を貫いている。だから翔は理解できないのだ。
むかつく。翔の美しさがわからずに、彼を上辺だけで判断するやつらが。彼が残念な行動をしがちなのも、優哉が原因なのに、それを説明できない自身にも腹が立つ。
どうやったら世界に翔の魅力を伝えられるだろう……なんて嘘だ。そこまで優哉は龍が――今は人間だが――できていない。かわいそうな思考回路をしている優哉は、翔の本当の魅力を引き出す手助けをできたら幸せだと殊勝なことを思う反面、覚醒した彼が色仕掛けをしてきたらどうしようと取らぬ狸の皮算用でドキドキワクワクしている。
「若い魂だから未熟なわけじゃない。そもそも今の時代に若い魂など存在しないよ。どこまで見渡してもあるのは、死に際の見苦しい己の欲に塗れた分不相応な……」
優哉が容赦のない見方をするのは、自身が後悔しているからだ。未熟な他者を見て苛立つのは、思い出すからだ。
優哉が翔に苦痛を与えていた過去を。何度も死なせてしまい、今世でも何度も危ない目に遭わせた。それもこれも全てこの世界が翔を……。
「優哉?」
声に出してしまったらしい。黒い龍の置物に話しかける優哉に驚くというよりも、翔はこちらを心配しているようだった。
「どうして君は僕のことを大切にできるの?」
翔の愛情はいつも優哉を優しく温かく包み込んでくれる。
「どうしてって……そ、そりゃ優哉のこと大切というか……あ、愛してるから」
恥ずかしそうに一生懸命答えてくれる翔を抱きしめたくなる。よくできましたと魔王的な視点で褒めたくなるのだ。
「ありがとう。僕も君が大切だけれど、なぜか僕は君を本質的に大事にできていないみたいなんだ」
大切にする方法を知るのはいつも失敗した後で、今世では命は無事だけれど、翔を随分暴走させてしまった。あまりにも優哉はなりふり構わなさ過ぎたのだ。
「大切にする方法がわからないってことか?」
「僕の大切にする方法って、君が好きな食べ物を山ほど用意するとか、君の敵を殲滅するとか、君に宝物を捧げるとか、そういう感じなんだけれど、どれも君にダメ出しされるから……」
「え? 俺ってダメ出しとかしたっけ? それとも前世の話か?」
「今世だよ。僕は何事もこっそり君に魔力で触れて事前に君の反応を確認してから、実行に移す」
「初耳だぞ!?」
翔が仰天している。
「だってそんなのかっこ悪くて言えないだろう?」
「いやいや、かっこ悪いとかそういう問題じゃなくて! 本当にそれで俺の反応がわかるのか!?」
「まあ、僕のやり方だと精度は八割程度かな。残りの二割はわかっててもまだ今の段階じゃどうしようもないことだから……僕らの関係性が進展できていない時は後者の割合がもっと高かったよ。だってつき合ってもいないのに、君にキスはできないし、それ以上なんてもっての外だよね」
「待て待て、一体どういうことなんだ……魔力で触れるのって、そ、その恋人同士のスキンシップみたいなものなのか? どうしようもないことってどういうことだ?」
翔の想定する恋人同士のスキンシップとはどのようなものなのか、優哉は聞きたくて仕方なかったが、変態扱いされたくなかったので我慢した。
「翔、僕は思うんだよね。触る側の意識によっては、ただ軽くタッチするだけでも、その行為が健全ではなくなると」
やましい氣持ちしかないわけではないが、優哉はものすごく翔に性的な関心も抱いているので、それを受け入れてもらっていない状態で密やかに翔の感触を堪能するのは憚られる。
「うーん、それって受け取る側にもよるんじゃないか? 双方の氣持ちが通じて初めて成り立つものもあるというか……俺は恥ずかしくて爆発しそうにはなっても、最初から優哉を受け入れてたからな……」
「最初からっていつから?」
つい優哉は身を乗り出してしまったが、翔はあたふたしてあまり氣にしていないようだ。
「え、俺は優哉みたいに前世の記憶とかないから、今世のことしか言えないけど……優哉を初めて見た時か? すごく抽象的な物言いになるが、俺は優哉を無意識にずっと求めてて、優哉がこの世に生まれてきてくれたこと自体が俺には奇跡のような喜びというか……なんか不思議とそういう感じなんだよな」
翔は優哉にどこまで優しい感想を抱いてくれるのだろう。このままその優しさに浸っていたいが、それではいつまで経っても彼との関係を深められない。
もっと優哉は翔に触りたいのだ。そして優哉の触れたいという欲求と、翔の希望が一致して二人は深い仲になるべく、お互いを理解し合おうとしている。
優哉は自身の魔王的性質を受け入れてもらえるように、時折道化を演出する必要があることがやや不満なのだが……。本当はかっこいい部分を怖がらないでほしいと思う氣持ちは、本音を秘めたままの状態では言えない。魔王は恐怖の象徴ではなく、翔の最強の騎士でもあるのに。
翔に魔力で触れると、まだまだこの世のしがらみの中で暴走しているので、少しずつそこから抜け出させて優哉でいっぱいにしなくては。
「いつも俺と話す時に俺が何も言わなくても、優哉が納得してるのって魔力で俺に触れてるのか?」
近頃の翔は、優哉のしていることが少しずつわかってきている。
「うん」
現在進行形で。
「そういう方法だけじゃなくて、実際に俺とも話してほしいんだが……」
優哉は翔の守護龍としてひっそり傍にいる時間が長く、その性質が染みついているのだ――なんて言い訳ではさすがに苦しくなってきた。真実の蘇生度合いをあげながら、優哉は翔が怖がらないぎりぎりを探る。
そうやってブレーキばかりかけていると、どんどん辛抱たまらなくなっていき、優哉は情けないことに翔の些細な挙動で泣きつきたくなるくらい焦らされてしまう。翔は拙いながらもそんな優哉を慰めようと明後日の方向に転がって行こうとするかわいい水晶なので、常に優哉はその温もりに満たされながらも欲求不満と戦っている。
翔はある意味で優哉の母親のような存在なのだ。正確には聖母と言うべきか。
「でも僕は君を母さんとは呼びたくない。僕は君の夫でいたいから」
どう転んでも優哉は翔の夫以外になりようがないのだが、念のため宣言しておく。
「い、意味がわからない……」
翔がぽかんとしている。それはそうだろう。わかるように説明していないのだから。
「これから順を追って話すよ。僕はとんでもない黒龍だったんだ……」
優哉はどうしようもなかった過去に思いを馳せた。ああ、あの時の優哉はなんて愚かだったのだろう。
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