シャイが残念になるなら僕はそれに抗ってみせる!04
優哉が悶え苦しむとそれに呼応して翔も苦痛に身をよじるが、どうしたってそれをすぐには助けてあげられない。優哉は翔の世界を壊す使命を持って生まれているのに、それを明かすにはもっともっと高度な魔術と魔法を駆使してこの世界をおもちゃのようにコミカルに彩らなくてはならないからだ。
ゲームをプレイするように実在の生き物が滅んでいく様を楽しんで見ることができるよう工夫する必要があるのだ。そうしなければまた翔は弱り切って逃げ出してしまう。
弱った魂はとある別世界に避難することがある。慈悲深い神様が魂の療養のために創った世界で、そこでは時間という概念がない。もっと正確に言えば、地球では観測できない時間を過ごしているため、仮にその世界で百年過ごしても、地球時間は全く進んでいない。
なぜならその療養世界とは死後の世界だからだ。翔は死んでも他の者とは違って優哉にすぐさま蘇生される。死んでも生き返り、再び死ぬ。その繰り返しが辛いようで、翔は楽園と噂されている入場条件の厳しい死後の世界に旅立ってしまったことがあるのだ。
優哉は寂しくて仕方なかった。いくらその世界に行きたくとも、ぴんぴんしている(上に他者に害を及ぼしかねない)優哉は門前払いだし、強引に関門を突破してその世界を瓦解させ、休んでいる彼をこれ以上疲弊させるわけにはいかない。
だから優哉はその世界に行くために、計画的に自らの魂を変質させることにした。翔を傷つけない自分になってからその世界に向かえるように、時を遡って怨念を身に纏う前の優哉になるという方法で――完全なる自己否定ではないが、それに近い行為だ。凄まじい技術力が要るので、実際は擬態に近い。
要は擬似的に生まれる前の優哉を造り上げたのだ。そういうめちゃくちゃなことを考えつくのは、非道で非常識な優哉ならではで、時の魔法を悪用した手口に、各方面から批判が殺到した。
生まれる前の優哉とは、すなわち大いなる宇宙の一部で、まだ黒龍としての意識に目覚めていない時期に、生まれた後の自我を保ったまま戻った状態だ。
これは傍から見れば相当悪質な行為で、どこまで弱者をいたぶれば氣が済むのかと非難轟轟だった。なぜそこまでしてもう同じ舞台には立てない弱り切った魂を追撃するのかと、優哉が逃げ道を塞いだだけでうるさく騒がれたものだ。
一体これがどういうことなのか端的に説明するならば、魔王が破壊した魂の破片が行き着く小さな安息の地に強襲するミニマム化した魔王なのだが、責任能力のない者に対しても同じように攻撃の手を緩めない非道さが取り沙汰されたのだ。優哉からしたら当然だ。責任能力の有無など関係ない。大事なのは何をしたかだ。どうしてしたかはその原因を取り除く上では重要だが、まず処理するのは実際に起こした行動によって引き起こされた事態だ。
魔王のお宝に手をつけようとした者は故意だろうとそうでなかろうと一律排除する。そしてその原因ごと殲滅する時には悪意の有無が重要になるけれど、そこを混同すると物事が停滞するのだ。悪意がある者にはそれに見合った拷問を。責任能力は消え失せても悪意だけは最後まで残るのだから。
仮に悪意がなくても魔王の報復はある。ただしそれは拷問よりはずっとましなものだ。一瞬で消し飛ばされるから、痛いのも長くは続かない。
このような優哉の主張は当然拷問される側には不都合だから受け入れられず、悪徳を犯した者に無自覚に加担する善意という名の無知で排斥される――可能かどうかは別として――というのは建前で、本音は翔に少しでも触れようとした者への報復はどんな手段を用いても完了するということだ。
この黒龍はもう見込みがないのではないか、逆にこれが最後の更生の機会かもしれない、このような者に好かれるとはなんて不憫な……などと神神はやかましかったようだが、優哉は全て無視した。
その時の優哉は周囲の評価に耳を傾けるよりも、ひたすら翔を見つめるのに忙しく、大手を振って同じ療養世界に行けたものだから、調子に乗りまくっていた。
『君に逢うために世界を越えてきたよ!』
翔はぶったまげただろう。せっかく休んでいたのに、彼の魂を疲労困憊させた元凶が現れたのだから。
『ああ、貴方様はなんてことを……』
はらはらと涙を零し、翔は優哉を悲しみに満ちた目で見つめた。
『泣かないで。これでもう君を傷つけることはないから。こちらの世界限定だけれど……一時の逢瀬を楽しもうよ』
優哉がいくら慰めても、翔は泣くばかりで、とうとう笑ってはくれなかった。
『私を守るために御自身を傷つけて、どうして私が喜ぶとお思いですか。貴方様は本質的に不器用で、いつだって悲しい方法でしか愛情を示せずに……』
あまりに翔が泣くので、優哉はどうしたら彼を笑わせられるか考え、密かに練習していた顔芸を披露することにした。
『……これを氣の弱い者が見たら、卒倒してしまうでしょう』
優哉の顔芸は相当恐ろしかったらしく、翔は一層涙目になっていた。
『……僕は君にとって面白くない? 僕のやることで君を笑わせられた試しがないよね』
『貴方様の基準とは異なりますが、私は貴方様の突拍子もないところは好きですよ。しかし誤解はしないでいただきたいのですが――』
翔に好きと言ってもらえて大喜びした優哉は、それ以降の言葉が耳に入らなかった。
『ほら、聞いていないでしょう! 私は貴方様を愛していますが、意思疎通ができないと著しい誤解が生じ、貴方様が暴走してしまわれます。貴方様のそれによる被害は甚大で、また私たちは離れ離れになってしまいますよ』
優哉は必死こいて表情筋を引き締め、落ち着く努力をした。翔に愛していると言ってもらえるだけで優哉は勇んで世界に破壊魔法をぶっ放したくなるが、まだ早いとその氣持ちを殺して笑いながらピエロのように振る舞う。
『少しでも私が貴方様のそれを鎮められればよいのですが……』
『それなら方法がある。君に触らせてよ』
優哉は翔が無事ならば、いくらでも求めてしまう。触るくらいなら大丈夫だと、全方位に黒の破壊魔法の標準を合わせながら翔にそろりと手を伸ばした。
『……私たちは婚姻を結んだ仲ですので、可能でしたらいつでも構いませんよ』
翔は普通に許可を出してくれたが、優哉は緊張してしまって何もできなかった。全面的に受け入れてもらえるとは思っていなかったため、心の準備ができていなかったのだ。
こんなに幼い伴侶にどうして手が出せるだろうか。翔を喜ばせるものが残酷な死の砲口だとどうして教えられるだろうか。何も知らずに優哉に注がれる魔力を喜ぶ翔を見るだけで一線を超えてしまいそうになるが、思い留まらなければかわいそうなことになる。翔に注がれる優哉の魔力はこの世界の終焉を告げ、新しい始まりを呼び起こす。
優哉の計画では、恥ずかしがる翔を優しく宥めながら少しずつ関係を進展させるはずだったのだ。全く想定していなかった事態は、優哉の容量を越えてしまい、そのままその話は流れることに……では悲しすぎるので、何とか食い下がった。
『僕は君のようにスマートにはできない。本来ならば僕がリードするところなのに、これでは情けなくて君に顔向けできない』
要約すると僕の顔を立ててくれ、頼むということだ。
『どうかそのままの貴方様をお見せください。私は貴方様と魂の奥底から触れ合いたいのです』
翔は全てを抱擁するような温かい手を差し伸べてくれたが、優哉は興奮しすぎて応じられなかった。この状態で触れたら翔が嫌いなこともしてしまう。
『私が貴方様に寄り添いますから、貴方様も少しずつ私にお近づきください』
翔はこちらに身を寄せてきて、何もできないでいる優哉はドキドキしながら、彼の感触に意識を研ぎ澄ませていた。
『緊張なさらなくて大丈夫ですよ』
優哉は翔に隠していることがあった。そういう印象はないだろうが、優哉は非常に大きな決断をしていて、それゆえに翔と最後までするのを躊躇っていたのだ。
「大きな決断?」
過去には明かすことのできなかった、そしてそれがゆえに最後まで進めなかった理由を、今やっと目の前の翔に話す。
「僕は君と婚姻を結んだけれど、今世に至るまで初夜を迎えていない。君の意識があるところでは。人間で言うと、キス以上エッチ未満の進展度合いだ。君が起きている時は。僕が奥手というのもあるけれど、実は僕にはある信条があって、それがなかなか達成できていないんだ」
「待て待て。その言い方だと俺の意識がなくて寝てる時は手を出してるって捉えられるぞ。しかもその信条ってなんだ?」
「そう捉えてくれても構わないよ。龍たるもの全力で愛する者を喜ばせよ! 意識がある時は……という信条さ。君を悲しませ、苦しませてばかりの僕がどうして君に触れられると思う? 君が嫌がることは君が嫌がらなくなるまでしないと決めていたというか……嫌がる君を強引に暴くのも興奮するけれど、僕は紳士な魔王だから」
翔が黙り込んでしまったので、優哉は慌てて言葉を重ねた。
「あ、もちろん今は昔と違って、そこそこ手を出せるくらいには僕も君を育てたし、いろいろがんばったから君の嫌なことはもうほとんどなくなっている。僕の魔力は君にとっては安全でおいしいよ!」
言い方が良くなかったのかもしれないと、焦る優哉に翔は本当に愛らしく笑った。
「馬鹿だなあ、本当に不器用で愛しいお方」
一瞬だけ昔の言葉遣いに戻っていたが、すぐに今の話し方になって、翔は優哉が飛び上がるようなことを言った。
「俺を喜ばせたいなら、お前がそのまま触ってくれるのが一番なのに。俺がお前を嫌がることなんてないんだから安心しろよ。俺の意識がある時にしたいことしていいんだぞ」
どうしようもなく恥ずかしがり屋だった翔が、さらりと恥ずかしいことを言う。優哉が療養世界で鏡の魔法をかけて教え込んだ甲斐があった。もう補助輪のようなその魔法を解いてもよいかもしれない。
『さあ、僕の真似をしてごらん』
苦渋の決断だったが、優哉は翔の暴走し過ぎて自身をも傷つけてしまう意識を全て食べてしまって、操り人形のように大人しくなってしまった彼に自身を教え込んだのだ。翔がどうすれば優哉を喜ばせることができるか一から丁寧に再現して、同じ動きをさせた。
当然正規の手順を踏んでいないがゆえに翔はうまく真似できずに変てこなことばかりしていた。優哉のかけた魔法の意義を魔王時代の部下は絶対に理解せずに、悪徳の光源氏などと不名誉な噂を立てそうだが、全て翔の窮地を救うためにやむを得ずにしたことだ。優哉の喜ぶことをすると翔が本質的に幸せになると言ったところで、自分に都合の良いことをもっともらしい口実にしていかがわしいことをさせて喜んでいるのでしょう! と牧野羊や黒永辺りは勘ぐりそうだが、そういう次元の話ではない。翔と優哉は運命共同体で、どちらかが欠ければ発狂するほど自分以上にお互いが大切なのだ。
自然と惹かれ合う運命の相手だと出逢った瞬間から優哉はわかっていた。翔もそうなのだと彼の様子からもわかる。仮に違ったとしても、優哉にはそれを現実にする力があるから全く問題ない。
少しずつ学んで成長し、徐徐に本来の意識を取り戻していった翔は、優哉の鏡の魔法が強くかかりすぎたせいか、己とは何かを変な方向に追求して厨二病を発症してしまったけれど、概ね良好な経過を辿っている。
ずっと優哉が煮え切らない反応をしていたのも、そんな翔のことが心配で、彼から暴走氣味に愛を囁かれて嬉しかったものの、己の不甲斐なさを痛感して落ち込んでいたのだ。
鏡の魔法をかけざるを得ないほど翔を追い詰めてしまったのは紛れもなく優哉の悪い癖が原因だ。自分のダメージ回復は後回しにして、何が何でも古代の魔術を完成させるというなりふり構わない攻勢が翔には負担だったのだ。自分以上に大切な存在が自身を疎かにしていたら苦しいだろう。そのことに優哉が氣づいた時にはもう翔は療養世界に逃げ込まなければ押し潰されてしまうほど弱っていた。
完全に優哉の落ち度だ。翔だけは完璧に守り通していたはずなのに、その鉄壁の守護に穴を開けたのが世界だった。この不完全な世界に優哉の魔法がきちんと反映されなかったせいで、大切なものを取りこぼしてしまった。世界が優哉の命令を聞かなかったから、こんなことになってしまったのだ。
優哉は己の力が及ばなかった点は即座に改善した。だから次は世界に復讐する番だ。
優哉の目には世界が数字に見えている。優哉の見方は冷ややかだが、数字は無機質で冷たいものではない。
鏡の魔法で優哉の真似をする翔が映す数式は、どこまでも温かく教えてくれた。言葉に想いが宿るように、彼を構成する数が、こちらの想いに呼応して、どんなに愛情深い顔を見せてくれるかを。
鏡の魔法をかけたと言っても、優哉の真似をする翔は唯一無二のオリジナルだ。優哉と同じことをしても翔という存在は少しも揺らがずに彼自身を構築する。それが何よりも尊くて、優哉は時折血迷ってしまう。このまま翔を黄泉の国から連れ出してしまおうかと。
この世界は優哉が滅ぼした時のまま時間が止まっている。本当は翔と再会したあの時、優哉はこの世界を手にかけていた。しかし翔があまりに優しいから、優哉も少し考えを改めたのだ。この世界を殺したことはしばらく伏せておいて、亡者どもを丁寧に火葬しようと。
自分が死んでいることを自覚する人間は一人もいない。なぜなら死んだショックで生きていた頃の記憶が吹っ飛んだからだ。その性質はまるで人人の想像する幽霊そのものだろう。
何度も目の前に現れる未解決の課題。どういう選択をするか世界に問いかけられ、大抵の人間は過去を選ぶ。一見解決したように見えても、別の形で同じ問いがつきまとい続ける。過去しか選べないのは、その者が既に死んでいて未来がないからだ。さまよい続ける亡者が未来へ進む道を選ぶのを成仏とでも呼ぼうか。一応成仏する方向に世界はゆっくり進んでいるのだが、いかんせん成仏するにはいくつもの関門を越えなくてはならない。
しかしながら過去を選ぶ人間の多さに辟易する。それも全て本人の選択だから、優哉がとやかくいうことではないけれど。では過去を選ぶのは間違いで、未来を選ぶのが正解なのか? どちらも正解で、不正解だ。死者が選ぶ過去は一周回って未来でもあるからだ。
今が未来を作り、過去が今に繋がる。今を間に挟んだ過去と未来は表裏一体なのだ。人間は今にしか生きられない。それは時間の中にいる万物共通だ。では死んだ者はどうか? 死者は過去にしか存在しないが、その過去を反芻する行為は時間の有限性を示すもので、無限の未来を崩壊させるのだ。なぜなら未来は今が作るもので、過去が今に繋がるのなら、有限の過去は無限の未来を終わらせる。言葉遊びのようだが、そうやって優哉は時間に止めを刺した。
どの時間軸も切り離せないし、人間の想像以上に複雑に絡み合っている。死んでいるのにこのような表現をするのはおかしな話だが、仮に現在から見て過去に転生した人間がいても、それは未来へ繋ぐために過去から今を支援しているのだ。もっと正確に言えば、そういう人は過去に課題を置いてきた者でもあり、その人にとっては、その過去が今なのだが。そしてそれらは全て無限の未来を殺す方程式である。
誰もが今を生きている。今を生きているのに、過去にいようとする者は、今が成り立たずに深みに嵌っていく。しかし今が成り立つ人はいない。なぜなら皆死んでいるから。死者は過去にしか存在しないため、今は過去になる。過去になった今は未来を終わらせる。複雑なようでいて単純な話でもある。
知識としてそれらの情報が頭に浮かんでも、優哉には何の感慨も抱けなかった――つい最近までは。崩壊していく時に無関心で、無感動に終焉を眺める優哉が、数を、時を、死者の弔いを大切にしようと思ったのは、全部翔が見せてくれたからだ。
魔法により翔が優哉の真似をして、彼なりに披露した姿は、どれも最後には幸福な新しい未来を描いた。新しい未来は死んだ過去を綺麗にすることでますます輝いていく。だから少しばかり丁寧に死んだ世界を葬ろうと、業火の魔法をどんどん強力に成長させて優哉は火葬の準備を整えている。
優哉が魔法を強くすればするほど、翔はその眩い光を大きくしていく。翔は優哉のやる氣をどこまでも引き出してくれる。
優哉はまるで死体に興味がない。あったら変態だと思っている。しかし翔の影響で死体処理には関心が向き始めた。死者を弔う炎を燃え上がらせることで、鼻が曲がりそうな死臭すら瞬時に消滅させることができるようになった時、翔がのびのびと息を吸い込んだ。今まで悪臭のせいで優哉がその都度消臭して促してやっと最低限の呼吸だけしていた翔が自発的に息をした。
優哉は感動しすぎて時の神様をうっかり成仏させてしまったのだが、翔がその影響でクロノス召喚騒動を起こしてその現場に居合わせたのには少少驚いた。案の定実際とは全く違う認識をしていたから、優哉も黙っていたが、翔は知らないだけで相当いろんな不思議体験の当事者になっている。いずれ話そうと思っているが、知ったらかなり驚くことだろう。
そうするにはもう少し翔との関係性を深める必要があるが、彼に優哉の全てを注ぐので、それはさほど遠い未来ではない。優哉は翔の父ではないし、翔は優哉の母ではないが、お互いがお互いを成長させ合う運命の相手なのだから。
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