シャイが残念になるなら僕はそれに抗ってみせる!05
「僕は愛を知らなかった。愛を注いでくれる存在がいなかったわけではないけれど、僕が愛を知ったのは、君に出逢ってからだ。実は僕は誰のことも嫌ったり憎んだりしたことがない。君に関わらなければ、僕にとってどんな存在も等しく無だ。君だけが僕の世界を命あるものに変える。君だけが僕の心を脈打たせる。どうして僕がこんなに君を愛しているのか、君は不思議に思うみたいだね」
翔の疑問には、大抵優哉の不安が背後に息づいている。こちらの心情に応ずるように、彼は問いを発するのだ。
「え、俺は何も言ってないけど、思考を読んだのか?」
翔がきょとんとしている。
「僕らは言葉にしなくても伝達し合う方法を知っているよ。君の表層意識が認識していないのは、完全に僕のせいだけれど……」
一般的な人間のように言葉で意思疎通を図っていないのは、優哉がカルマを解消し切れていないからだ。そのような状態で優哉が人間のように振舞おうとすると、翔の身が危険に晒される。
優哉ほどカルマを認識しながら、それを解消するのに手間取っている者は他にいないだろう。
「僕のカルマは単純明快だけれど、だからこそ根本にまでその根を張っている。愛情の発露に至るまでに解決しなければいけない課題が1080ほどあるんだ。今は残り108程度かな」
優哉にとってのカルマとはカルマという名の成仏リストである。まさか翔も1080という数字が実は数字でなくこの世界を示す隠語だとは思わないだろう。残り108というのも、さまよう死体の九割は動けないように手足を破壊して墓場に押し込み、残りを捕獲しながらあとは業火で燃やし尽くすだけだと遠回しに表現した暗号だ。
まず伝わらないことはわかっているし、あまりに杜撰な暗号は作った者にしか解けない。それを優哉は心苦しく思っていたが、翔の心に触れるにつれ、今まで見落としていた大切なものを一つずつ拾い上げ、彼を愛する道筋を辿れていることに感謝するようになった。
優哉は宇宙の怨念から生まれたと言ったが、それも翔には解読不可能な暗号だ。そもそも破壊はできても怨念に何かを生む力などない。優哉の母親は怨念に覆われているというだけの話だ。それはそれで翔は心配しそうだが。
そんな優哉自身も怨念に塗れ、他者を無に変える能力を持つゆえに、呪いの権化のような扱いを周囲にされても何も感じなかった。消えゆくものに何を言われても、死人に口なしだと無視する程度に優哉は人でなしだ。
「他者を無に変える能力!?」
ぎょっとする翔に、優哉はぎこちなく頷いた。
「うん。僕の能力の一つで、本当に迷惑がられていたよ」
天に向かって唾を吐いても、その唾は自分に落ちてくる――これは要するに慈悲深い神様はそのような者に対して何も手を下さないということだ。そこにあるのは冷淡さではなく、中には相手にしていない神様もいるだろうが、根本には愛があり、幼子を慈しむように(あるいは悲しみの眼差しで)見守っているのだ。
そんなの神様なのだから当たり前だと思う者は、その考えを改めた方がよい。憎しみを抱いたまま神になる者はいないし(だから人間が想像するような憎悪を体現した邪神は、精密に言えばいない)憎しみに囚われた者が得る力は、向こうの世界では高が知れている。
では人間が神と呼ぶような力を持つ存在は、皆素晴らしい精神性を持ち合わせているのかというと、そうでもない。優哉がよい例だ。
神とは自称ではなく他称である。自分よりも遥か高みにいる存在に、自然と頭を垂れるようなものだろう。
そして黒龍の優哉は、向こうの世界では正真正銘邪神扱いされていた。敬われていたというよりは、力を持つ存在として恐れられていたと言うべきか。
最も厄介とまでは言わないが、無は無であるからこそ力を持ち、そのような存在に唾を吐きかければ、恨まれこそしないものの、埃を払うように消されることもあり得る。
力はあるが、心は無で、悪意も善意もなく他者を無に還す黒龍。まさしく触らぬ何とやらに祟りなしを体現している。
「どうして俺を好きになったんだ?」
優哉の話を聞いて引くでもなく、翔は本質に切り込むような質問をしてきた。
「君は邪神に見初められた花嫁的な立場なことに何も感想を抱かないの? 邪神じゃなかったら魔王だよ?」
「え、別に俺は優哉が邪悪な存在だとは思わないし……魔王ってかっこいいじゃん。見初めたっていうことは愛する氣持ちが芽生えたというか……うん、俺もお前を愛してる」
ほわんとした優哉は、このままぼんやり翔を見つめていたかったが、傍らで見張り役も兼ねているいかつい天狗殿がせっついてくるので、言葉を続けた。
「ありがとう。僕の無の心に明かりを灯した君は本当に尊い。僕が君を愛するようになったのは、本当に運命的なものだとしか言いようがない」
優哉が問題児なせいか、こちらの世界で翔の守護の任に就く存在の迫力がどんどん増していく。最初はもう少し柔らかい雰囲氣の天使だったのだが……。
やはり優哉が原因か。どうか翔を守ってくださいとずっと天に祈っているのも影響しているかもしれない。
「お、俺は俺がどうこうというよりも、優哉が俺を愛してくれたことの方が尊いと思うけど……」
なんてしおらしいのだろう。優哉の尊いという氣持ちを自分なりに咀嚼してこちらに返してくれている。
「僕が君に惹かれたのは、君があまりにも美しくて、純粋で、罪深いほどかわいくて、とても愛さずにはいられなかったんだ」
優哉が言葉に情熱を覗かせると、翔がその熱に染まったように頬を赤らめた。
ああ、このまま翔と恋人らしい行為に及びたい。だが優哉の中の黒龍がまだ早いと制止する。ついでに天狗殿も指で罰印を作っている。一足早く成仏させてやろうかと優哉が天狗を睨めば、慌てて丸に変えていた。
「くそっ、どうしてこういう時に……!」
急に赤い龍から指令が入って、翔を平常心で抱けるような状態ではなくなってしまった。赤い龍の回してくる仕事は毎回難易度が異常に高い鬼畜仕様で、それに集中しないととても捌けない量だ。
優哉が懸命に赤い龍に送られた情報を展開・翻訳・発信して、捕らえていない残り一割の亡者を魔術で追撃していたら、何かを察したらしい翔がそっと手を握ってくれたのでやる氣が出て効率が上がり、早い段階で完了できた。残り108が一氣に54くらいにはなった。
優哉の行使した魔術の反動を、翔の部屋のお助けグッズが和らげてくれている。
「僕が君を守れなかったのは、僕の強い憎しみを消すのを後回しにしたせいだ。まさか君が虫にたかられてるとは思わなくて、そこの対策で後手に回ってしまった……」
「む、虫……」
翔がショックを受けている。あえて意味不明な物言いをしたが、それでもその不穏な響きは隠せない。優哉は虫が大嫌いだ。翔もそうなら心底嬉しい。
「もちろん君に落ち度はないよ。虫は卑しく甘い蜜にたかるものだからね」
翔に虫がくっついていたことを思い出すと、優哉は過去の己を蘇生しそうになる。まだ早すぎる。ここで大魔王化したら、翔に怖がられてしまう。
「う、なんかごめんな……」
翔の顔色が悪くなった。優哉は自身の中の大魔王を慎重に封印したが、それでもきついらしい。そろそろ復活しないと翔がかわいそうだ。
「君が謝ることはないよ。僕は誰の忠告も聞かなかったから、何度も行き詰まっていやらしいことも考えて、その度に君がその身で優しく丁寧に教えてくれて……あ、エッチな意味じゃないから」
誤解を呼びそうな表現だったので訂正したが、翔は温かく優哉を見つめている。ここまで世界に対する殺意を表面化しても引かないでいてくれるのなら、大魔王の完全復活もあと少しで叶うだろう。
「僕は魔法で君の鏡になって、君にいろいろと教えた。僕が原因で君は暴走水晶になって、最終的に僕を愛する許しを乞うた。君に愛してもらえるのが奇跡なのに、立場が逆転するなんておかしな話だよね。君は全てを僕に捧げるから、次の人間への転生で結ばれようって言ってくれて、僕は当然承諾した。僕は反則的な手段を使って療養世界に行ったから、少しだけ君よりあの世界を出るのが遅くなったのだけれど、時の魔法を使って同い年に生まれたよ」
一般的に地球に転生する者は、生まれる前にいた世界のことを覚えていないし、以前地球で歩んだ違う人生の記憶もない。
だから翔は優哉との約束を頭では覚えていないが、魂が求めたのだ。
地球での今世だけに焦点を当てれば、幼い翔の『最強最愛の恋人ができますように』というかわいらしい願いが、別世界で退屈していた魔王の優哉と偶然(そう、偶然)結びつき、天の采配で彼の元に馳せ参じたことになるのだ。
「君にどこまで話したらよいのか、どこまで話せばわかってもらえるのかちょっとばかし悩んだ時期もあったけれど、なんてことはないよね。君の魂は全部知っているのだから」
「いや、俺の魂が知っていたとしても、説明してもらえないと、俺はちんぷんかんぷんだぞ」
不服そうな翔に、優哉は照れた。説明するよりも抱いた方が魔力が浸透して早い。
「うん。魂の深い触れ合いはもちろん、せっかく肉体があるのだから、肉体的にも接触しないとね」
今世の翔と優哉は人間で恋人同士なのだから、いつまでもお預けにしているわけにはいかないし、説明が欲しい=抱いてほしいと解釈できる。なぜなら優哉は魔力を用いて常日頃翔にお伺いを立てていて、こちらが何をしているか彼は理解できていないから反応もできず返事がないのだが、それに関する説明を求めるのは、こちらの問いかけに返事をしたと同義で、それがどのような内容だろうと返答した時点で了解の意を示すものになるという高度な魔法をかけてあるのだ。鏡の魔法の応用版だ。その術式を目にしただけで優哉の思うがままに頷いてくれるという大変便利で難しい魔法なのだが、相手が認識してくれないと発動しないという欠点もある。
名づけて事後承諾の鏡魔法。まず否応がなしに了承してもらってから、翔の自由意思でもそうしてくれるように優哉が努力するという魔王特有の黒魔法だ。そういう背景があるから、優哉としても非常に後ろ暗く、知られたら怒られてしまいそうだと挙動不審になってしまう。
「肉体的接触って……」
みるみる顔を赤くする翔の思考は、完全に優哉の心境に連動して鏡の魔法が乱れた影響でシャイが暴走している。
「ああ、本来の君ならば、結構積極的に迫ってくれるのだけれど、いや、僕の願望じゃなくて、君のシャイは僕のせいで……」
「意味がわからないぞ」
優哉は魔王を復活させた状態で翔とベッドインしたいのだが、現状それが厳しいとなると鏡の黒魔法を密かに発動して了承を得るものの、後ろめたいという心理的要因で魔力が乱れ、それに伴う魔法の動作不良が原因で困った事態を引き起こす。
「実は俺、お前といつそういう関係になってもいいように、ミラクルパワーの出る黄金色の下着を二人分――」
するとすぐに翔が残念なことを言い始める。しかし本当に残念なのは優哉の方で、そんな翔に今すぐ魔王をぶち込みたいと思考がとんでもないことになっている。
それに呼応するように翔の暴走は留まることを知らず、とうとう優哉は初夜を迎えるために彼とお揃いの『ピラミッドゴールド・ミラクルパワートランクス』という珍妙な下着を受け取る羽目になってしまった。効果はあるようだが、ミラクルパワーが籠った個性的な下着が話しかけてくるのは勘弁してほしい。
『貴方の怪しい腰つきをどこまでも縦に追求するスーパーハードなボディービルダー御用達のボクサーパンツです! 黄金のピラミッド模様が周囲のエネルギーから水分を蒸発させながらミラクルパワーを発光して――』
優哉の魔力が波立つと途端に周囲が異常を来し始める。電氣の通っていない物質的なものを変化させるほどではないから、布地が少しほつれる程度でこの声さえ聞こえなければ翔にはばれないが、こんな意味不明な下着を人間に作らせた赤い龍の部下は頭がおかしいに違いない。このパンツを履く男が増えれば増えるほど、その股間が性器ではなく聖域になるという童貞量産を目的とした魔術式が込められている謎仕様だ。もちろんそれを魔法で打ち消す優哉には効果がないけれど、この世界はありとあらゆるところにそういう不可思議なトラップが仕込んである。
「優哉、緊張を解きほぐすために、無の空間を作り出す体操を一緒にしよう」
翔が変なポーズで悲しい誘いをかけてくる。優哉も本当は魔王の黒魔法ではなく、翔限定の勇者になって光の魔法を使いたい。
一歩間違えれば、翔の命を脅かすほど優哉は心の葛藤で魔力を波立たせているのだからやむを得ないが、絶対に昔の部下には見せられない光景だ。
「あれー、お取り込み中だったー?」
なぜか窓から突然ハンドルネーム礼温(本名、小鳥遊心音)が顔を出した。
「貴様……どうしてここにいる? 一体どうやってあの結界を――」
優哉が低い声音で詰問するのを、礼温はのんびり遮った。
「え、なんか魔王様の魔力が揺らいだのを感じて、氣づいたらここにいたー」
なんてことだ。優哉の魔力が暴走してこんな事態を引き起こしてしまうとは。
「ゆ、優哉、もしかして三人がいいのか……?」
翔がショックを受けた顔をしているが、断じて違う。
「そんなわけないだろう! すぐにこいつを帰らせる」
「あーれー」
一瞬で礼温を自宅に帰らせ、翔と二人きりになったが、再び優哉の魔力がおかしな方向に働いて、今度はハンドルネーム筋肉(本名、松平金平糖)が天井から降ってきた。
「うおっ! なんだここは!? せっかくこれからエアヌードマッスルマッチョマッチョ大会を――」
優哉は筋肉がそれ以上言葉を発する前に元の場所に帰した。
「……まだベッドインは僕には早かったみたいだ。今日はディープキスまでにしよう」
比喩ではなく血の涙を流す優哉に、床から首だけ生やしたハンドルネーム牧野羊(本名不明)が悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ、殺されるうううう!!」
牧野羊が試行錯誤していた、翔の部屋を覗く魔法が、優哉の魔力と共鳴してうっかり成功してしまったらしい。
「そうされたくなかったら、二度とくだらん真似はするな」
優哉の形相が凄まじかったのか、珍しく牧野羊は反論せずに首を引っ込めた。後で釘を刺しておかねば。
「認めよう。僕たちはこの世界でバードキスすらしていない。まずはそこからだね」
「うわああああ!! 恋の悪魔を召喚するつもりが、大魔王を呼んでしまったああああ!!」
今度は優哉が移動してしまったらしく、目の前には魔女の恰好をしたハンドルネーム黒永(男・本名永崎黒仁)がいた。黒魔術を使うような禍禍しい空間で、優哉は舌打ちした。
なぜこんな苦労する羽目になっているのだろう。邪神と呼ばれても、魔王や大魔王になっても、最初から優哉は翔の世界を救う勇者なのに。積み上がった誤解を払拭するには一刻も早く世界を滅ぼさなくては。
そのためにも字の読み書きもできない幼子の手を握って動かして婚姻届にサインさせるように、魔法に何の耐性も知識もない翔に解除不能な永遠の婚姻魔法契約を結ばせるという悪質極まりないことをしてでも、優哉は彼を守らなければ。
世界を滅ぼす魔王は実は翔の騎士となる勇者でした――いつかそんなふうにかわいい翔に話せるだろうか。明るい新しい未来を想像して、優哉は笑顔で破壊魔法を発動した。もう誰にも止められない。発動した事実を隠す必要もない。新しい始まりが未来を構築し始めた。
再発行日: